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青森市内にある縄文時代の三内丸山遺跡の存在は、江戸時代から知られていた。平成に入って近くにある青森県総合運動公園の拡張が決まる。工事に先立ち発掘調査が行われると、とんでもないものが見つかった。
直径2メートル、深さ2メートルの柱穴が6個並んでおり、穴の底には直径1メートルの木柱の一部が顔を出していた。約5千年前に、30メートル近い高さの大型の建造物がそびえていたことになる。
日本最大の縄文集落の跡からは、大量の縄文土器や石器、漆器、土偶の数々が出土した。北海道産の黒曜石、新潟県産のヒスイなどは、遠隔地との交易の事実を示す。クリやクルミ、ゴボウなどが栽培されていたことも分かった。
縄文時代の人々は原始的な狩猟採集生活を送り、食料を求めて常に移動していた。小欄が中学、高校で習った知識は完全に覆された。農耕が始まった弥生時代を待たずに、人々はすでに定住し、食用のための植物も育てていた。
三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、ユネスコ世界文化遺産に登録される見通しとなった。このうち亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)は、縄文土偶の中でも特に人気の高い遮光器(しゃこうき)土偶で知られる。極端に大きな目が遮光器(スノーゴーグル)に似ていることから名付けられた。大平(おおだい)山元遺跡(同外ケ浜町)からは、約1万6500年前の世界最古級の土器が発見されている。
葬送や宗教的な行事も催され、体の不自由な人は手厚く介護されていた。日本人の祖先は1万年以上もの間、心豊かに暮らしてきた。縄文時代を知れば知るほど、最近よく耳にするサステナビリティー(持続可能性)という言葉の重みを感じるようになる。我々の文明は、1万年も続くだろうか。
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2021年5月28日付産経新聞【産経抄】を転載しています