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1963年に大人気になった坂本九のヒットシングル「明日があるさ」は、多くの人が知っている曲である。とてもキャッチーなメロディーにユーモラスな歌詞がつけられて、戦後日本の楽観的な雰囲気を示している曲だ。気に入った女性に声をかけたい「若い僕」は、勇気を出して声を掛けようとするが、「明日がある」と強く信じているので明日まで後回しにして、結局、今日のチャンスを逃す。
「明日があるさ」がリリースされる3年前、池田勇人総理大臣が所得倍増計画を発表した。楽観的になる背景は当時、確かにあった。池田氏の前に総理を務めた吉田茂氏は戦争直後に「武器よ、さらば」と決めて、アメリカの膨大な帝国の傘下で日本経済を成長させていくという戦略を描き、それが実を結び始めた時代だった。1960年代前半から日本の将来を眺めれば、長い「明日」がずっと彼方まで広がっていた。「明日があるさ」が人気だった時代、日本人の多くは、たとえ今日のチャンスを逃しても、「いつかきっと、いつかきっと」いい事があると確信していた。
それから約60年が経過し、日本の戦後が目の前で崩れている。日本経済は、第三の「失われた10年間」に入った。アメリカは、中国という恐ろしい圧政的独裁国に追い越される寸前だ。吉田茂、池田勇人両氏ら戦後の日本の政治家たちが命を預けたアメリカによる平和がいま揺らいでいる。
誰が尖閣のために闘うのか
中国は連日のように、日本の領土、尖閣諸島の領海を侵犯している。日本側は、アメリカによる世界秩序を信じて、国際社会の中で法や条約、議定書などに従って辛抱強さを示してきた。日本は、アメリカがいつか動き出して尖閣諸島付近から「海警局」を装った中国海軍を追い払うのを待っているが、中国の侵略行為は一向に終わらない。今までの常識は通用しなくなった。戦後は終わったのである。坂本九の楽観的な時代は終わったのだ。積極的に行動を取らない限り、日本の安全が危うい状況にある。明日はないかもしれないのだ。
この現実を一番よく把握していると思われる人々は、なぜか動いていない。政治家や官僚などは、あり得ない奇跡を待ち、今日のチャンスを逃してばかりいる。国を守る気概がない現代の政治家は、「明日」があっても何もしないだろう。
日本の未来はその女性たちだ
彼らの代わりに潔く立ち向かう姿勢を見せているのが、今は日本の女性たちだ。たとえば、参院議員の有村治子氏(自民党)である。慰安婦問題は、韓国や米国の左派たちが日本を破壊するためにでっち上げた。彼らの反発を恐れる日本の有識者たちが放置してここまで膨らんだ。しかし、有村氏は今年3月22日に国会議事堂で、真正面から慰安婦問題を突き攻めた。慰安婦問題をこれ以上放置すれば国の存続が危ないと分かったうえでの行動だった。
男性陣が弱腰になり、未来を見て戦うのは、どこの国でも女性たちなのかもしれない。
予備自衛官の葛城奈海氏も同様だ。尖閣諸島の危機について熱心に語る葛城氏の講演を聞いた事がある。鳥肌が立つほど彼女の誠意が伝わった。葛城氏は2020年5月21日の産経新聞に「口先だけの抗議で尖閣は守れない」とストレートに日本の現状を批判していた。日本政府、メディアの無力さや臆病な様子はあまりにもひどいので、よく言ってくれたなと思った。今は、「叱る」べきだ。明日がないからだ。
葛城奈海氏は、沖縄出身のジャーナリスト、我那覇真子氏や他の女性の言論人たちと、皇室の「父系男系」制度を守る会を最近立ち上げた。我那覇氏は、世界各国を飛び回って、日本が直面している危うさについて警鐘を鳴らしている。
闘うか、あきらめるのか決めるとき
「女性が輝く社会」は、口先だけの水掛け論ばかりを交わす政治家たちが想像もできなかったほどに膨らんでいる。彼女たちは、このままでは皇室も日本も未来がないと悟り、男性が言及するのを恐れている真実をはっきり言って、日本の明るい未来のために先頭を走っている。
失礼ながら、有村氏や葛城氏、我那覇氏に匹敵する男性は、今の日本の政府の中にいるだろうか。いないだろう。皆、「明日」を待っているのだ。
日本が「明日」を待つ時間はない。闘うか、あきらめるか、いま決めるときなのだ。敵は内にあり、政治的指導層は内紛に忙殺されている。
日本を救うのは、女性のサムライたちであると信じている。「明日の勇気」を夢見て待っていた戦後の男性たちは、決して訪れることのない「明日」を待ち、時間を浪費してしまった。
著者:ジェイソン・モーガン(麗澤大学国際学部准教授、東アジア史、政治、法哲学)