Japan Takeshima Picture Book to the World 003

Author Yumiko Sugihara and a picture from the Takeshima Picture Book

 

かつて日本人が竹島(島根県隠岐の島町)で行っていたニホンアシカ猟を描いた絵本の絵を無断で引用し、「アシカは日本により殺されました」と中傷する文言に改竄(かいざん)した韓国の大学教授の会員制交流サイト(SNS)の投稿が、物議を醸している。教授は「島根県の広告をただすためパロディー広告を制作した」などと強弁しているが、ネット上では「日本を侮辱している」「一線を越えた」などと強い批判が寄せられている。

 

 

説明文も書き換え

 

島根県によると、無断で引用されたのは、県竹島資料室で開催した子供向けの夏季企画展を宣伝するため、8月7~31日にフェイスブックとインスタグラムに掲載したWEB広告の画像。隠岐の住民から「メチ」と呼ばれていた竹島でのニホンアシカ猟を描いた絵本「メチのいた島」(山陰中央新報社発行)の作中の一場面を使用した。

 

もともとの画像には「竹島資料室 夏季企画展開催中!」とタイトルが記されているが、これを韓国の誠信女子大の徐敬徳(ソ・ギョンドク)教授が「独島のアシカは日本により殺されました!」と日本語で改竄した。

 

教授はさらに、「日本海に浮かぶ竹島では、日本人が古くからアシカ猟やアワビ漁を行っていました」という島根県が画像に添えた説明文も、「東海に浮かぶ独島では、日本人はアシカの皮と油のため不法でアシカを残酷に捕獲しました」と改変。続いて、もとは「島根県では2月22日を『竹島の日』とする条例を制定しています。竹島問題に対するさらなるご理解とご支援をお願いします」となっていたのに、「韓国では10月25日を『独島の日』として記念しています。独島問題に対する知見を広めたい方々の韓国までのご来訪をお待ちしております」と書き換えた。

 

 

「大学教授のすることか」

 

教授は「旭日旗」に似た意匠にクレームを付け、撤去を要求する運動を展開している活動家だ。9月にフェイスブックとインスタグラムで問題の画像を掲載。この中で「日本側が制作した独島に関する歪曲(わいきょく)した広告や広報物を正さなければならないため、今回のパロディー広告を制作した」と自説を展開した。

 

この画像のことが知れ渡ると、ネット上では「ユーモアの欠片もなく、品位は微塵(みじん)も感じられない」「これをパロディーと主張するのは異常」「大学教授のすることではない」などと批判が噴出。「日本人が猟をしていたと書いたのは、日本領と認めていたことになる」との指摘もあった。

 

県竹島対策室の山崎雅則室長は「何の根拠も示さず、パロディーにする行為は遺憾だ」と話す。

 

 

1970年代半ばに姿消す

 

藤井賢二・島根県竹島問題研究顧問は「日本がアシカを絶滅させたかのような主張はいい過ぎ。日本が不法でアシカを捕獲したというが、1954(昭和29)年以降に竹島で不法にアシカを捕殺したのは韓国」と指摘する。

 

竹島はかつてニホンアシカの繁殖地として知られ、江戸時代には米子(現在の鳥取県米子市)の商人がアシカ猟を行った。猟は1900年代初期に本格化したが、過当競争の状態となり、隠岐の水産事業家だった中井養三郎がアシカ猟事業の安定化を目的に、竹島の領土編入と貸し下げを政府に申請した。提出した書類にはアシカの保護の方法も細かく書かれていたという。

 

明治38年に竹島が島根県に編入された後は、猟は県の許可制になり、同年6月に中井が「竹島漁猟合資会社」を設立した。当初は年間千数百頭を捕獲していたが、乱獲を防止できずに頭数が激減。昭和に入ると動物園やサーカスに売るために年間20頭前後を捕獲するようになった。

 

竹島でのアシカ猟は先の大戦直前に中断したが、昭和29年5月に巡視船に守られながら竹島周辺でアワビやワカメをとった地元漁協の漁師は「アシカを見た」と証言。一方、藤井顧問によると、韓国国立海洋調査院の報告書は、韓国の沿岸警備隊が常駐するようになった後の1958年に竹島には200~500頭のニホンアシカが生息していたが、保護政策なく捕獲を継続し、75年を最後に目撃されていない、と記している。

 

 

絵本の作者「情けない」

 

画像のもとになった絵本「メチのいた島」の原作者は、隠岐の島町の元小学校教諭、杉原由美子さん(77)。東京で小学校教諭として勤務した後、平成20年に帰郷。竹島での漁の再開を願う地元の人たちの思いを知ったのをきっかけに住民約20人に聞き取り調査し、物語にした。

 

今回改竄されたのは、絵本の中でニホンアシカが竹島で生まれ育つことを伝える場面。杉原さんは「アシカを知っている人ならそんなことは書けない。この絵本で一番伝えたかった部分なので本当に情けない」と憤る一方、「法的措置は難しいので、『この本を宣伝してくれた』と思うようにしたい。この本を読んで日本人が竹島とアシカをどんなに大事にしていたか知ってほしい」と話している。

 

 

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