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前回のアトリエ談義でも少し触れましたが、永濯があまりにも正当な評価がされておらず知られていない理由の一つに、明治時代当時の日本美術再興の潮流から外れてしまったということも挙げられます。
永濯が得意とする「日本神話」という画題もまた、古臭いものとなっていたのでしょうか。しかし永濯作品は、明治維新当時、招聘されていた多くの来日外国人からの人気は高く、永濯作品はむしろ海外に多く確認できるのです。つまり日本人よりも外国人が注目したため、海外に多くの作品が流出したということです。
さて、そのような境遇の永濯作品ですが、最後にご紹介するこの一枚は、永濯に注目していた私にとっては一生にあるかないかの出会いだ、と確信し、最近入手したものです。
これまではボストン美術館蔵の、ほとんど同じ構図の永濯作品が知られていましたので、古書目録でこの作品を目にした時は本当にびっくりしました。ところでこの作品は、日本神話を題材とした作品を得意としていた永濯ならではの力作です。
では、その作品をご覧ください。
これは天地開闢(てんちかいびゃく)、日本神話における世界の創造の様子を描いています。
日本神話によると神によって世界が創造され、更に7代にわたって神々の時代が続きました。この時代の最後にイザナギノミコトとイザナミノミコトが生まれ、神々の命によってこの日本列島を生み出したと言われています。因みにこれらの神々は現在の天皇の祖先ということになります。
この作品はまさに今、どろどろとした沼のような海をイザナギノミコトが天瓊(あめのぬぼこ)を用いて混ぜ、日本列島を創造している場面です。ボストン美術館蔵のものと同時期の制作と思われます。今回入手したこの作品、ボストン美術館蔵のものと比べても、決して見劣りはしないと思っています。この2点はほとんどそっくりの作品ですが、違うところといえば、悳蔵の方は少しサイズが小さいことと、やや焼けがあることくらいでしょう。
さて、最後に耳寄りな情報をお届けします。まだ知名度の低い永濯の作品は、作品展も、画集も皆無なので、実際にはなかなか観る機会がありません。しかし、いつでも永濯の傑作を観ることができる場所があるのです。
それは、東京の杉並にある妙法寺です。境内の絵馬堂には何と永濯の傑作「加藤清正像」が奉納されており、いつでも拝観することができるのです。他にも様々な絵馬が掛けられていますが、永濯の絵馬は格別で、圧倒的に群を抜いています。私は5年ほど前にも娘と自転車でこの絵馬を確かめに行きました。外気に触れる場所にあるため退色を免れませんが、存在感は健在でした。JAPAN Forwardの読者の皆さんも、日本に来られることがありましたらぜひご覧ください。
永濯は、当時、画壇や派閥にかかわらず多くの絵師や画家らと広く交遊があったことも知られています。東京亀戸天神にある永濯13回忌に際して建立された大きな顕彰碑は、それを物語っています。石碑には建立賛助者の名前が列挙されていますが、その銘たるや、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、川合玉堂、月岡芳年や菊池容斎の弟子たち、河鍋暁斎の子供たち、、、、と枚挙にいとまがありません。
そんな永濯ですから彼の魅力が、作品と共に正当に評価される時代が、きっと来ることでしょう。
筆者:悳俊彦(洋画家・浮世絵研究家)