浮世絵師、歌川国芳(うたがわ・くによし)の取材範囲は非常に広く、実際にはありとあらゆるものを描いています。武者絵、美人画、役者絵のほか、数は少ないものの洋画の影響を受けた風景画などは、早くから高い評価を受けています。また花鳥、動物等にもなかなか味わい深いものがあります。
しかし、それらのモチーフは全て国芳の暮らしの中から取材されたと言ってよいでしょう。また、架空の物語なども描いてはいますが、それは当時、庶民の間で好まれていたからであって、版元も売れることを見越して国芳に描かせたといって良いでしょう。
もちろん、国芳も人気絵師になってからは自分の個性を十分発揮できるテーマを提供することもできたでしょう。そして版元の注文で描くにしても、彼は可能な限り自分の個性を大切にした絵師でした。つまり浮世絵師は芸術家ではなく、職人なのです。面白いのは当時威張っていた狩野派の絵師が今では忘れられ、格下の職人だった国芳が芸術的にも高く評価されていることです。
お話が脇道にそれてしまいました。それでは国芳の作品を紹介しましょう。まず、昔から評価の高い風景版画からいくつか選ぶことにします。
「東都三ツ股の図」。国芳は暮らしの中からテーマを選んだことはすでにお話ししました。この作品も彼の散歩の道すがら見た景色を描いたものと思われます。雲の表現がユニークで、木版によるぼかしが効果的です。なお、遠くに見える塔が東京の新しい名所「スカイツリーに似ている」と話題になったことがありましたが、実は井戸を掘るための櫓だったことがわかり、一件落着となりました。海に近い所では、よほど深く掘らないと真水が上がらないので、高い櫓が必要だったのです。
次に紹介するのは、「東都名所佃嶋」。
場所は隅田川の河口近くにかかる永代橋の下から佃島を望む風景です。よく見ると、食べかけの西瓜や、桶がプカプカと浮いており、江戸時代にもすでに公害あったことを知ることができるありのままの風景です。
しかし、当時の人々は廣重のように、名所絵ハガキのように、美しい所だけを切り取ったような絵を好みました。従って広重の風景版画は飛ぶように売れたのに対し、国芳の風景画は売れ行きが伸びず、版元は早々に販売を打ち切ったために現存数が大変少ないのです。洋画の長所を巧みに取り入れながらも、浮世絵の木版技術を最高に生かした国芳の風景版画は、現在高く評価されています。
一方、国芳の本領は、「武者絵の国芳」と云われるように「武者絵」にあることは誰もが認める事でしょう。そして彼が本格的に、浮世絵画壇にデビューしたのは、中国の豪傑たちの物語から取材した「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人」のシリーズで、それを皮切りに、武者絵や合戦絵を次々と世に送り出し、名実共に「武者絵の国芳」として世間に知られるようになりました。
それではデビュー作の水滸伝の豪傑たちの中からまず一番人気の「九紋龍史進」をご覧頂きましょう。
その名の示す通り、九匹の龍の彫り物をしており、水滸伝の豪傑の中ではイケメンで通っていた人気者です。この場面は山賊の頭領、陣達との格闘場面です。国芳は美しい彫り物が良く見えるように構図を工夫して描いています。
次は、「九紋龍史進」とは対照的な悪役「花和尚魯知深 初名魯達」。
松の木を鉄の禅杖で打ち砕いた瞬間を描いています。ヤニの強い松の木片が飛び散る様子が、あたかも光速度のシャッターで写したように描かれており、国芳観察眼と描写力は、すでに現代の画家のように科学的なのには驚かされます。
悳俊彦(いさを・としひこ、洋画家・浮世絵研究家)
【アトリエ談義】
第1回:歌川国芳:知っておかねばならない浮世絵師
第2回:国芳の風景画と武者絵が高く評価される理由
第3回:浮世絵師・月岡芳年:国芳一門の出世頭
第4回:鳥居清長の絵馬:掘り出し物との出合い