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北方領土交渉はいま、死の際にある。ロシアのプーチン政権は、うなぎのかば焼き(四島)の匂(にお)いだけ日本に嗅(か)がせて本体は一片たりとも渡さず、あわよくば経済的獲物をせしめようと交渉を続けてきただけだ-。こう喝破したのは、一昨年死去したソ連・ロシア研究の泰斗、木村汎氏だった。現実はその通りになりつつある。
「四島」国際化が肝要だ
ロシアは昨年の憲法改正で唐突に「領土の割譲禁止」を明記した。「割譲行為は最大禁錮10年、割譲を呼び掛けても最大4年」とする改正刑法も成立した。露メディアは今月1日、国家安全保障会議の副議長を務めるメドベージェフ元大統領・首相が、憲法改正で日本と北方領土問題を協議するのは不可能になった、との認識を示し、「ロシアには自国領の主権の引き渡しに関わる交渉を行う権利がない」と述べたと報じた。日本側に一方的に「領土断念」を促す無礼千万な発言だ。
北方領土で軍事基地化を進めるロシア軍は、7日の「北方領土の日」に冷水を浴びせるように、国後島で射撃訓練を始めた。
「四島返還」という国家主権に関わる歴史的正義の旗を自ら降ろし、全体面積の7%にすぎない歯舞、色丹の2島返還をうたった1956年の日ソ共同宣言に基づいて平和条約交渉を加速させる-との安倍晋三政権時代の日露合意(2018年11月)は、日本側の全くの幻想にすぎなかったことがこれで明白になったといえる。
この日露合意を継承すると公言した菅義偉政権だが、日本を愚弄し、翻弄し続けるプーチン政権との領土交渉はこちらから打ち切る決断をすべきときではないか。
その上で、ソ連の独裁者スターリンが終戦直後、日ソ中立条約を一方的に破って丸腰の四島を火事場泥棒的に奪取した国家犯罪と、それを受け継ぐプーチン政権の非道性、逆に「四島返還」の正当性を世界に粘り強く訴える、新たな国際戦略の構築に着手し、対露外交の全資源を投入すべきだ。
91年のソ連崩壊から今年で30年。共産党独裁体制から「民主」国家への歴史的な転換期だった。一党独裁を放棄したゴルバチョフ・ソ連大統領がこの年4月に初来日した。90年からヒューストン、ロンドン、ミュンヘンと続いたG7サミットでは毎回、「北方領土問題解決」を支持する議長声明や政治宣言を採択し、「国際化」への努力の一端もうかがえた。
しかし、結局は政治、経済的に弱り切ったロシアに四島返還を決断させる切り札的な外交戦略を持たず、首脳の緊急訪露などの外交攻勢にも出ることなく、千載一遇の絶好機を生かせなかった。
93年10月にはエリツィン大統領が来日、「四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ」とした「東京宣言」に署名した。しかし、後任のプーチン大統領は就任6年目の2005年9月、突然、「南クリール(北方四島)は第二次大戦の結果、ソ連(ロシア)の領土となり、これは国際法で確定している」との虚説を唱え出した。側近のメドベージェフ氏は10年11月を皮切りに、大統領、首相として合計4回も国後島や択捉島に不法上陸する暴挙を繰り返した。
次の絶好機に知恵絞れ
プーチン政権は反体制派は容赦なく弾圧し、自らの出身母体の巨大な秘密警察・旧KGB(国家保安委員会)や軍の特権層の利益を最大限重視する。最近は猛毒の神経剤で殺されかけた反体制指導者ナワリヌイ氏を強引に拘束、全土での大規模な抗議デモに見舞われている。そのナワリヌイ氏に暴露された「プーチンの秘密大宮殿」は世界中の顰蹙(ひんしゅく)を買っている。対外的にはサイバー攻撃などで各国を揺さぶる。その謀略と強権ぶりはソ連共産党政権も顔負けだ。
日本の領土問題の一方的譲歩は「中国の軍事的脅威に対抗してロシアを抱き込むため」との分析も政府内から聞こえた。
しかし、現実は人権問題などで互いに内政干渉も制裁も心配がない中露を一層接近させる結果になった。現在は日米同盟を挑発するかのように合同軍事演習を繰り返し、「北方領土」「尖閣諸島」でも共闘しているように映る。
ソ連崩壊時の対露外交の不首尾のツケはあまりに重い。しかし、全土の抗議運動の大波に洗われ、20年超のプーチン長期政権の足元も揺れ始めた。「次の絶好機」に国を挙げて知恵を絞るときだ。
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2021年2月7日付産経新聞【主張】を転載しています