復興を「日本再生」の原動力に
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3月11日を迎えた。
東北地方の太平洋沖を震源とする巨大地震=マグニチュード(M)9・0、最大震度7=が発生し、岩手、宮城、福島県の沿岸地域は大津波に襲われ壊滅的な被害を受けた。
東京電力福島第1原子力発電所はすべての電源を喪失し、過酷事故に至った。
あれから10年になる。
死者 1万5899人
行方不明者 2526人
震災関連死 3767人
鎮魂の日である。
今を生きる者が震災犠牲者に心を寄せ、被災者と、被災地の復興を支え抜く意思を新たにする日である。
「3・11」の意味は、年月を重ねて大きくなった。
この10年、熊本地震(平成28年)や西日本豪雨(30年)をはじめ大規模な自然災害が相次ぎ、多くの犠牲者を出した。
昨年からは新型コロナ禍に「当たり前」の日常を断たれ、社会経済活動の停滞が続いている。
東北の復興をさらに前に進め、成し遂げなければならない。その力とその志は今後も日本列島を襲うであろう自然災害から立ち上がり、新型コロナのような災禍を乗り越える力となるだろう。
荒浜小の教訓再確認を
現在は震災遺構として一般公開されている仙台市立荒浜小学校の「3・11」を紹介したい。
巨大地震発生の70分後、仙台市中心市街地から10キロ離れた若林区荒浜の集落を襲った大津波は、風よけの松林をなぎ倒し、800世帯、2200人が暮らした住宅を根こそぎ押し流した。
海岸から700メートルの荒浜小の4階建て校舎には、児童71人、教職員16人、地域住民233人が避難していた。津波と瓦礫(がれき)は校舎2階まで達したが、320人の避難者は全員、ヘリコプターによる移送などで救助された。
地震、津波を想定した訓練に力を入れ、地域住民との連携も重視していたという。特にここで伝えたいのは、震災1年前のチリ地震津波を契機に避難計画を見直し、集合場所を体育館から校舎に変更していたことである。
体育館よりも、耐震化された校舎の方がリスクは小さいと判断した。体育館は津波で大きな被害を受けた。集合場所の変更がなければ、全員の命は守れなかった可能性が大きい。
2010年2月末のチリ地震で気象庁は青森、岩手、宮城県に大津波警報、日本列島の太平洋岸全域に津波警報を出した。観測された津波は最大1メートル強で、避難所に逃げた住民はわずかだった。気象庁は予測が過大で警報解除が遅れたことを謝罪した。
チリ地震の記憶は、気象庁の警報を軽視し避難行動を鈍らせる要因になったと考えられる。ヘリで救助された荒浜の被災者から「チリ地震の大津波警報でも、1メートルばっかの津波だったから…」という声を聞いたことがある。
荒浜小は大震災1年前のチリ地震を避難行動の改善につなぎ、320人の命を守った。
先月13日の福島県沖地震で、東日本大震災を想起した人は多いはずだ。災害への備えと命を守る心構えを再確認し、更新するきっかけにすることが大事だ。
人の営みを回復したい
荒浜地区は災害危険区域に指定された。震災瓦礫は撤去され、大規模な盛り土による津波避難の丘が築かれたが、居住地としては復旧されない。道路、鉄道、災害公営住宅などインフラ面の復旧は確かに進んだが、多くの被災地で「人の営み」は回復していない。復興はまだ途上である。
「人の営み」の回復、再生は被災地全体の課題であり、日本の課題である。被災地の復興が被災者や被災自治体だけの問題ではないことを再認識したい。
福島の復興を妨げている風評被害の根絶は、最も重要な課題の一つである。風評の根絶なくして、日本の再生はない。
差別やいじめと同じで風評被害は被害者がもがいても、なくならない。コロナ禍のなかで起きた感染者や医療従事者に対する差別も根は同じだ。
社会全体が徹底的に被害者を守りながら、社会の中に潜んでいる風評と差別の芽を摘んでいくことでしか、風評や差別の根絶はできない。一人一人が、風評、差別に向き合う覚悟を持ちたい。
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2021年3月11日付産経新聞【主張】を転載しています