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両腕を失いながらもラケットを口でくわえる卓球選手、足で弓を引くアーチェリー選手がいた。義手や義足、車いすを体の一部として躍動する選手がいた。彼らが示したのは、障害のある人々の持つ無限の可能性と創造力だ。
東京パラリンピックが幕を閉じた。新型コロナウイルス禍は沈静化の兆しが見えず、五輪に続く無観客開催となったのは残念だが、日本勢は金13個を含む計51個のメダルを獲得し、社会の閉塞(へいそく)感を振り払った。しびれるような熱戦を繰り広げ、テレビ桟敷に感動と興奮を届けてくれた全ての選手に拍手を送りたい。
8月24日の開会式で、国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は「地球上で最も変革を起こす力のあるスポーツイベントが始まる。世界全体を変えていきたい」と熱弁をふるい、選手たちに「皆さんは本物だ」とも語った。その通りの大会だった。
五輪しのぐ感動残した
メダルラッシュに沸いた五輪が遠い昔に思える。それほど、パラ選手たちが残した印象は鮮烈で、開会式を含めた13日間は、何物にも替え難い時間だった。
先天性疾患で障害を負った選手もいれば、人生の途中で障害を負い失意を味わった選手もいる。だが、私たちが大会で出会ったのは「かわいそうな人々」ではない。残された体の機能を使い、全身で自分を表現する、生命力に満ちた「本物」のアスリートだった。
印象に残る場面がある。競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)決勝で、1位と2位でゴールした木村敬一と富田宇宙が涙で顔をゆがめながら抱き合った。
2人はここ数年、世界のトップを争ってきた。木村が「金以外はいらない」という重圧に耐えられたのは、熾烈(しれつ)な競争でしのぎを削った富田の存在が大きいという。「僕が戦っていく上で、宇宙さんの存在はなくてはならないものだった」と木村は感謝した。
富田は大会前半の男子400メートル自由形で銀を手にしていたが、木村に敗れた一戦により大きな充実感を味わったという。「競技者としては失格かも」と前置きした上で「最初にメダルを取って『この瞬間のために障害を負ったのかもしれない』と思ったが、きょうのためだったんだな」と語った。1つしかない頂点を本気で争った者だけが口にできる言葉であり、勝敗を超えたドラマだろう。
中継したNHKの放送席で、実況のアナウンサーや解説者らが泣いていたのも忘れ難い。恐らくテレビ観戦した多くの人が共有した涙ではなかったか。パラ競技の底力と奥深さを見た思いがする。
「パラ最大のスター」と言われる陸上男子走り幅跳び(義足・機能障害T64)のマルクス・レーム(ドイツ)は、東京五輪出場を求めながら認められなかった。それでも五輪の優勝記録に迫る8メートル18で大会3連覇を果たし、試合終了後には1時間以上も日本の報道陣の取材に応じたという。
「パラ選手の個性がさまざまな人に認知されるために、3年後のパリ大会に向かって活動したい」とレームは語った。五輪出場を求め続けるのは、パラを軽視するからではなく、五輪を通じてパラ選手の価値をさらに高めたいという誠意と熱意だろう。障害者と健常者を分けるのは「壁」ではなく、一人一人の「違い」にすぎない。そう気づかされる。
一過性の祭典ではない
感染状況が悪化する中での東京パラには開催意義を問う声や批判が絶えなかった。だが、「何のために」という問いかけ自体が間違っている。選手たちが発したメッセージから何を受け取り、社会をどう変えていくのか。大会を招致した国民一人一人に、開催意義を考える責任があるはずだ。
社会全体で議論を深め、大会が残した財産に形をつける努力をやめてはならない。五輪・パラは一過性のお祭りではないからだ。
「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」はパラの理念である。コロナ禍に屈することなく、日本は大会を成し遂げた。私たちに残された「開催してよかった」という手応えは、これからの社会を変革する大きな力になる。
いつか完全な形での大会を日本で開き、今大会を上回る感動を分かち合いたい。そんな熱源を秘めたバトンが、後世に引き継がれることを願ってやまない。
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2021年9月6日付産経新聞【主張】を転載しています