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創価学会の池田大作名誉会長が死去した。95歳だった。
池田氏は、昭和35年に創価学会第3代会長に就任して以降、拡大路線を推し進め、学会を公称827万世帯まで信者を増やし、日本有数の巨大宗教団体に育て上げた。
それだけでなく、公明党を結成して政界に大きな影響を与え、日中友好に尽力するなど昭和・平成を代表する人物の一人だったのは間違いない。
一方、教団の拡大期には、「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれた行き過ぎた信者獲得や、批判的な本を政治力を使って差し止めようとした「言論出版妨害事件」が社会問題となった。公明を通じて学会が「国立戒壇」を設立しようとしているのは、憲法が定める「政教分離」に反している、との強い批判も出た。
このため池田氏は、昭和45年に学会と公明を組織として切り離す「政教分離」を宣言し「国立戒壇」の創設も否定した。
野党から出発した公明は、平成5年に発足した細川護熙政権で、初めて政権与党に参画した。11年には自民党と連立政権を組み、民主党政権の3年間以外は、政権に参画し続けるなど、政治力を拡大している。
組織として「政教分離」したとはいえ、公明と支持母体の学会が、不即不離の関係にあるのは、今も変わりない。池田氏は十数年前に表舞台から姿を消すまで、小泉純一郎、安倍晋三両元首相らと非公式に会談するなど、支持母体のトップとして政権に影響力を示していた。
政策面でも池田氏の影響力は大きかった。昭和43年に池田氏が日中国交正常化を提言して以来、「日中友好」は公明の事実上の党是となっており、今も日中関係を重視し続けているのが好例だ。
池田氏は、都内の海苔(のり)製造業の家に生まれ、病気の父に代わって小学生時代から家業を手伝った苦労人でもある。彼の死去は、戦後の混乱と新興宗教勃興を背景に、一人の人物が自らの力でのし上がり、宗教界のみならず政界でも大きな影響力を持ち得た「昭和」という時代が、名実ともに終わったことを象徴する。
冥福を祈るとともに、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題でも、大きな論議となった宗教と政治の関係を改めて考える機会ともしたい。
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2023年11月20日付産経新聞【主張】を転載しています