Paralympic World’s “Two-way Player” Momoka Muraoka 002

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今夏の東京から冬の北京へ-。アルペンスキーの2018年平昌冬季パラリンピック金メダリストで、東京大会では車いす陸上の女子短距離代表に内定している村岡桃佳(トヨタ自動車)は、22年北京冬季パラも見据えて、短期間で陸上とスキーの両競技を行き来するハードな挑戦に打ち込んできた。いよいよ迫る夏冬連続出場へ向け、「ベストパフォーマンスを見せたい。少しでも多くの人に興味を持ってもらえれば」と力を込める。

 

本格的に陸上を始めたのは19年春。スポーツで自分の世界を広げてきたという村岡にとって、多くの国民の声援を受ける「自国開催」のパラは、どんなものよりも魅力的に映った。練習し始めてからわずか2カ月後の7月、女子100メートル(車いすT54)で当時の日本記録を更新。「トップスピードに乗ると気持ちいい」と、すぐに新たな世界にのめり込んだ。

 

とはいえ〝二刀流〟への挑戦は、一筋縄ではいかなかった。東京パラが1年延期となった影響で、東京大会の閉幕から約半年後に北京冬季パラを迎えることに。そのため、特にここ数カ月は両競技の出場権を獲得するため、陸上とスキーの大会を行き来した。体力面と精神面がなかなかかみ合わず、「心が何度も折れそうになった」と打ち明ける。

 

4歳の時に病気の影響で下半身にまひが出て歩けなくなり、車いすでの生活となった。以来、「殻に閉じ籠もっていた」という村岡を、父の秀樹さんが連れ出し、さまざまな車いす競技に挑戦するようになった。目標ができ、パラリンピアンに憧れ、がらりと目の前の景色が変わった。「(スポーツで)自分自身を認められるようになった」という。

 

そして〝二刀流〟で心が折れそうになったとき、支えとなったのは、スキーの仲間であり陸上の仲間だった。幾度となく「桃佳なら大丈夫」と声をかけられ、「自分の中で自信が持てたし、その言葉に応えたいという気持ちが強くなった」と振り返る。

 

 

スノーボードの冬季五輪2大会連続銀メダリストで、スケートボードの東京五輪代表に決まった平野歩夢(イフイング)からも刺激を受けた。「純粋にすごい。夏と冬を両立させる大変さは私も感じているので、五輪選手でも挑戦されている方がいることは私の励みにもなる。『私も負けないぞ』って」

 

5月にはスイスで陸上の国際大会に出場し、世界の強豪のスピードを肌で感じた。東京大会での目標は決勝進出。そして北京へ。「みなさんの応援してくださる気持ちも残ったまま、夏から冬にシフトできるのでは」と24歳。自分自身を変えてくれたスポーツ、その力を信じて大舞台へ突き進む。

 

筆者:西沢綾里(産経新聞運動部)

 

 

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