ロシアのプーチン大統領=4月26日(ロイター)
~~
ロシア人の戦争
2022年2月24日、15万人のロシア軍がウクライナに侵入し、多くの町を破壊し、ウクライナ人を殺した。怒りと恐怖が燃え上がった西側諸国に支えられたウクライナは抵抗し、侵入した多くのロシア軍兵士を殺害した。ロシア軍もウクライナ軍も20~50%の兵力を失った。旧日本軍では兵力が50%損耗した段階で全滅と見なした。独ソ戦の中で書かれたドイツ軍の報告書によると、ソ連赤軍兵士の士気は、逃亡する兵士を処刑する赤軍の「特別阻止部隊」への恐怖と、軍規を理解できない兵士の略奪と暴行によって支えられていた。略奪暴行する兵士を将校が射殺した記録も残っている。
ウクライナにおけるロシア軍兵士の行動を見る限り、現在のロシア軍もソ連赤軍と多くの共通点を持っている。また独ソ戦で2千万人を超える犠牲に耐えたロシア人の精神構造は今も生きている。ロシア人の死傷者感受性は低く損害の許容限度は高い。体制が変わってもロシア人はロシア人である。
ウクライナ侵攻の精神構造
プーチン大統領が支配する現代ロシアのスローガンは「ロシアの偉大な復興」(Make Russia Great Again)である。ロシアは超大国であるべきであり、ロシアの指導者は超大国ロシアの実現に努力しなければならないとロシア人は信じている。ロシア人の望みは、ロシア史上最大の版図をもち、米国と世界の覇権を争った超大国ソ連の復活である。ソ連国歌も復活し「ロシアは聖なる我らの大国」と歌うロシアの国歌になった。
2011年にプーチン大統領はソ連の復活を目指す「ユーラシア同盟」の理念を公表した。ウクライナ支配はロシア人の願望である。ウクライナ戦争が始まった後でも、国内でプーチン大統領の支持率が8割前後を維持しているのは、プーチン大統領が多くのロシア人の望みを実現しようとしているからである。ロシアは選挙がある「民主主義国」であり、プーチン大統領といえども国民が望まない戦争をすることは難しい。
現在のロシアとソ連を比較すると、ソ連が崩壊した際に、ロシアはソ連の西側(東欧)を失った。他方、ソ連の東側国境はロシアがそのまま維持している。ロシアは日本の北方領土すら失っていない。ロシアが現状を変更しようとしているのは、ソ連の西部地域だった東欧である。欧州にとってロシアは危険な現状変更国家である。しかし、巨大な中国の圧力が日増しに拡大しているソ連の東部地域で、ロシアは現状維持に汲々(きゅうきゅう)としている。200年ぶりに中露関係は中国優位になり、今や中国人に言わせると中国が兄、ロシアは妹の関係になった。極東の国境を必死で守ろうとしているロシアはアジアでは現状維持国である。
中華帝国の復活
中国共産党(中共)のスローガンは「中華民族の偉大な復興」(Make China Great Again)である。
中共は政権党として大きな弱点がある。民主主義国の政権党は国民の多数が支持していることを選挙で証明できる。しかし、中共政権は国民の多数が支持していることを証明したことがない。中共は国民の支持ではなく、国民を力で支配して政権を維持している。とは言うものの政権が安定する為には国民の支持が必要である。
そこで鄧小平以来、中共は皆が貧しくなる共産主義ではなく、特定の人が金持ちになる「冷たい資本主義」を採用して金持ちになる夢を国民に与え国民の支持を得ようとした。金持ちになることに反対する中国人はいない。「国民金持ち化」政策によって中共は国民の支持を獲得した。
ところが、「冷たい資本主義」の結果、貧富の格差が拡大し、国民の不満が高まっている。国民の支持を維持するためには何か国民が支持することをやらねばならない。中国の影響圏を拡大し、国民の自尊心を満足させる政策に反対する中国人はいない。これが「中華民族の偉大な復興」である。普通の中国人が思い浮かべる「中華民族の偉大な復興」とは、19世紀まで世界一の超大国であった歴史的中華帝国の復活であろう。
19世紀の中華帝国と現在の中国はどこが違うのか。現在の中国が失った中華帝国の影響圏は、中華帝国の東側の地域(朝鮮半島や東南アジアの朝貢国)である。西側は19世紀に清朝が征服した新しい土地「新疆」もしっかり支配している。したがって中国の西側は現状維持でよいが、東側は現状を変更して中華帝国の影響圏を取り戻さなければならない。日本を含む中国の東側にある諸国にとって中国は危険な現状変更国家である。
更に中国は日本が現在実効支配する領土を奪おうとしている唯一の国である。ロシア軍はウクライナで出血し、二正面作戦を実行する力はない。危険な現状変更国家に対決する際は、「流血を厭(いと)うものは、それを厭わないものに必ず負ける」(「『戦争論』クラウゼヴィッツ語録」)ということを忘れてはならない。
筆者:村井友秀(東京国際大学特命教授)
◇
2022年7月8日付産経新聞【正論】を転載しています