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草をはむ3頭の牛を獅子が狙っていた。牛たちの結束は固かったが、獅子は他の目を盗み1頭に耳打ちする。「あいつらは陰で君の悪口を言ってるぞ」。やがて仲違(たが)いした3頭は散り散りになり、鋭い牙にかかる。
悪人は善人の顔をして近づいてくる。このイソップ寓話(ぐうわ)は、牛と獅子を人間に置き換えれば社会の縮図そのものだろう。国と国の関係も、3頭の牛に学ぶものが多い。太平洋を取り巻く国々による貿易・投資が高度に自由化された市場に、すり寄ってきた国がある。
補助金で守られた国有企業あり、情報移転の自由を阻む規制あり、新疆ウイグル自治区での強制労働問題あり。経済を国家統制の下に置く国が、自由な市場への「仲間入り」とはどの口が言う。9月16日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に加盟を申請した中国である。
米国の離脱を奇貨として、あわよくば巨大市場を「わが庭に」という腹が見えているだけに始末が悪い。交渉入りや加盟には、全参加国の承認が必要という。コロナ禍で関係のこじれたオーストラリアに、中国がとった高関税措置の一事をみても仲間とは認め難い。
獅子の耳打ちで参加国が個々に切り崩されないためにも、中国を交渉の席に着かせることには慎重でありたい。TPPは「自由な市場」に名を借りた経済安全保障であり、大きな原則を簡単に曲げてはならない。今年の議長国であるわが国の良識が問われてもいる。
イソップ寓話をもう一つ。神は善人と悪人を見分けるため、恥ずべき行いをした善人が赤面するように血を授けた―という。「一帯一路」の甘言で途上国を丸め込み、顔色一つ動かさぬ国の善悪など語るに及ばない。欧州には「地獄への道は善意で舗装されている」の格言もある。
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2021年9月19日付産経新聞【産経抄】を転載しています