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「里山」という言葉と概念を美しい映像で一般に広めた自然写真家、今森光彦による日本の里山のすばらしい作品がいま、東京都写真美術館で開かれている。
今回の写真展「今森光彦 にっぽんの里山」は、190点以上の作品を展示する、これまでに開催された多くの写真展のうちで最大級のものであり、同時に、最新作品を含む110がスライドショーで紹介されている。
ここに展示されているのは、これまで今森が30年以上にわたり撮影してきた生まれ故郷の琵琶湖周辺の美しく魅力的な里山の多様な人と自然の風景と、その後20年をかけて日本全国200カ所以上の里山を回って撮影してきた作品の中から厳選された、里山の作品の集大成ともいえるものである。
魅力的で示唆に富む作品
これらの写真は、ただ美しいだけでなく、魅力的で、その多くが示唆に富んだ作品である。それは、これらが里山という自然環境の中で人と自然が一緒にいる場面と瞬間を見事にとらえて、人と生きものが調和して、しかし、お互いにあまり干渉することなく、暮らす微妙な関係性について、深い洞察を示しているからである。
里山という言葉が一般的になる前は森林生態学などで、人里と山の間に広がる農業環境を指すことばとして使われたいたものだが、今森は、その概念を広げて「人も含めた生きものと自然が共存するすべての場所」という意味にしたのだと言っている。
この新しい里山の概念は、田んぼや花、昆虫など、美しい風景の写真や文章を通して、また里山シリーズのテレビ番組のおかげもあり、多くの日本人の共感を呼び、いまでは日常的に使われる言葉になっている。2010年に名古屋で開催された生物多様性条約のCOP10(第10回締結国会議)では世界で生物多様性を保全するための概念として「サトヤマ・イニシアチブ」が国際的な枠組みになったことで、里山という言葉や概念は日本だけでなく、国際的に知られることになった。
今森の物語
今森は1954年滋賀県大津市でまれ、80年からフリーランスの写真家として、活躍。水田や魚、鳥、動物、昆虫などが人と共存する琵琶湖周辺の自然環境の風景を、里山という概念で追い続けてきた。1992年に、雑誌で「里山物語」の連載を始めたが、連載1回目の冒頭で、「里山とは、人と生きものが共存する日本古来の農業環境のことをいう」と里山の定義を書いている。だから、里山は、山や田畑だけでなく、海や湖などの漁場も里山になるのだ、という。
「里山物語」の中の写真も、そして今回の写真展の作品も、その多くが、琵琶湖西岸の仰木にある今森の里山で撮られたものだ。その里山とは、今森が35年以上前に1,000坪の放置された里山を買い取って、何年もかけて森も田んぼも、里山の要素がすべてそろった里山に、復元したのである。その中にアトリエも建てた。
チョウとカブトムシ
例えば、ヒノキの林をすべてクヌギなどの広葉樹に植え替えた。下草が生えて昆虫が住めるようになるのである。クヌギが大好きなカブトムシがやってくる。毎年好きな木や草花を植え、昆虫や鳥、動物たちにとって住みやすい持続可能な環境を作ってきた。そして今もまだ、一年中、この里山の姿を保つため忙しい。
「オーレリアンの庭」と名付けたその里山には、70種類ものチョウが生息するようになったという。オーレリアンとは、ラテン語に由来する金色の蛹の意味からチョウの愛好家を意味する。
昆虫少年としてチョウやあらゆる種類の昆虫を追いかけてきた今森は、写真家になってすぐのころから生まれ育った琵琶湖周辺で、そして日本全国で、そのうち世界中で、昆虫の写真を撮ってきた。多くの賞を受章した作品集や著書の中には、すばらしい日本のチョウや世界のチョウの図鑑が含まれている。1995年に写真集『里山物語』(新潮社)で第20回木村伊兵衛写真賞を受賞、その他多数を受賞している。
象徴的なカタクリを摘む女性の写真
展覧会会場入り口で、里山の女性がカタクリを摘む写真の大きなパネルが来場者を迎える。これはこれから写真展を通して見ることになるものを象徴するシーンである。人と自然が調和して共存している関係を示す代表的な風景である。
これらの女性たちはカタクリを食べるために摘むのだが、茎の途中から折って、来年また芽を出して、花を咲かせるように、根の方は地中に残すのである。これは里山の人が自然の資源を利用するときに採りつくさないようにする昔からのやり方なのだ。
四季と山の神様
展示は、春、夏、秋、冬のセクションに分かれている。そして、スライドショーを見るためのブースがある。
春のセクションの冒頭で、まだ雪を被った山の大きな写真が3点続く。黄色い菜の花畑の向こうに残雪をたたえ、すそ野を広げた鳥海山と、新緑の向こうに横たわる月山、そして、「山から神が降りてきた」と題した信州中川村からの白い峰峰。手前には満開の桜。
今森は、里山を撮っているときに、自分は「山のある風景にもこだわった・・・里地に立った者が聖なる山として精神の拠り所にする風景のことだ」と写真展の図版の中で述べている。古代から、日本人は、山には神が宿り、彼らの里地に降りてくると信じて、山を崇めた。他の季節の部を通しても、多くの日本の山が、紅葉や冬の雪など、季節ごとに異なる色合いを見せる美しい姿がこの里山の写真に捉えられている。
このカタクリ摘みの作品のほかにも、多くの、里山で働く人々の写真が展示されている。茶摘み、山菜採り、田植え、リンゴの花の間引き、など。このような里山での人が働く風景を捉えた写真はみんな美しい。
チョウの写真に命の物語を読む
さまざまの昆虫の姿を捉えた20数枚の写真や、鳥や蛙、牛などに猿やカモシカまで、あらゆる里山の動物の姿を捉えた写真もすばらしい。彼らはみんな、人と調和して暮らす、里山の大事なメンバーなのである。だから、これらの生きものに対して、ナチュラリストの今森がレンズの向こうから注ぐ温かさを感じるのである。キジもフクロウもカモシカも、どこかユーモラスに見えるのはそのせいだろうか。
特に、「カタクリにやって来たギフチョウ」は、遠くにまだ雪が残った稜線を背景において、可憐なギフチョウが紫色のカタクリの花を訪れた美しい場面を捉えたというだけでなく、この写真には深い命の物語を読み取ることもできる。
レッドリストの絶滅危惧種に指定されているギフチョウは、前年の夏から冬の10か月もの長い蛹の期間を経て4月ごろに羽化するが、羽化してからわずか2週間ほどの間に産卵して死んでゆく。そのような、「春の女神」と呼ばれるギフチョウが、花が終われば翌春まで地上から消えてしまう、そのはかなさから「スプリングエフェメラル」と呼ばれるカタクリの花を訪れるという場面を捉えた今森はこの厳しい命の現実を十分に知っての上のことに違いない。そして、この作品が、ギフチョウの羽化する瞬間をとらえた写真と、食草であるウスバサイシンに産み付けられたヒメギフチョウの卵の写真と並べて展示されているのを見ると、彼らの厳しい命のサイクルが一層強烈で美しく見える。
棚田、里山のシンボル的存在
里山の風景の中で、田んぼ、特に棚田は重要な役割をしめる。里山を思うとき、田んぼのない里山は考えられない。そして、この写真展においても、さまざまの季節における棚田のさまざまの風景が捉えられている。水を入れた棚田、田植えのあとの棚田、黄金色に色づいた稲が収穫を待つ棚田など多くの棚田の風景が見られる。中でも、最も印象的な棚田の風景の一つが、潟県十日町市の日本を代表する棚田、星峠の棚田の幻想的な風景を捉えた作品、「朝霧の棚田」は、展示されている棚田の写真の中でも、美しくすばらしい。幻想的な棚田の風景で、日本の原風景と言われる、
「棚田は私の里山物語の原型のような空間で、必須アイテム。山と里をつなぐ農地として貴重なだけでなく水辺の機能ももっている。生物多様性から見てもたいへん重要だ」と今森は図録の中で語っている。
これらの作品を観たあとに、人は自然とどのようにうまく調和して生きてきたかについて、里山における人と自然の関係性について、あらためて考えさせらる。同時に、我々がうまく守っていかなければ、間もなく消えて行く里山を、そして自然との関係を、どのようにして、維持して次の世代に長く残していけるのかを、これらの美しい作品を通して、今森は問いかけているように思えるのである。
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「今森光彦 にっぽんの里山」は東京都写真美術館で9月29日(日)まで開催中。
展覧会の詳細はホームページで。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4814.html
著者:石塚嘉一