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この原稿は8月6日午前、広島のホテルで書いている。市内では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が平穏かつ円滑に行われた。高校生だった筆者が初めて広島平和記念公園の原爆ドーム前に立った時、稲妻に打たれたような衝撃を受けた。その感覚は長崎の平和公園でも変わらなかった。1945(昭和20)年に広島と長崎でかくも多くの一般市民が犠牲になった。筆者にとって、毎年8月に開かれる式典は若き日のあの衝撃を思い返す荘厳、神聖かつ厳粛な場である。それに今回泥を塗ったのが他ならぬ長崎市である。
政治的判断
広島市は6日の式典に例年通りイスラエル大使を招待したが、パレスチナは招待していない。当然だろう、パレスチナは国家ではないからだ。ところが、長崎市はイスラエル招待を最終的に、事実上撤回した。同市長は「不測の事態発生の懸念に変わりはない」「政治的判断ではない」「式典を平穏円滑に開催するための判断」「原則としてあらゆる国の代表に参加してほしいので大変残念」などと説明したが、筆者は我(わ)が耳を疑った。
筆者:宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
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2024年8月8日付産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】より