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奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半)の墳丘から張り出した「造り出し」の部分で埋葬施設が見つかり、内部から精緻な文様が施された盾形の青銅鏡と剣身が曲がりくねった「蛇行(だこう)剣」が出土した。奈良市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所が1月25日発表した。銅鏡は通常円形で盾形のものは類例がない。蛇行剣は長さ237センチで、古墳から出土した鉄剣では国内最大。いずれも国産とみられ、古墳時代前期の金属器としては国宝級の傑作と評価され、当時の生産技術の高さを示す極めて重要な発見となった。
研究者驚嘆の技術力
富雄丸山古墳では国史跡指定を目指し、同市教委が平成30年度から発掘調査を実施。昨年10月下旬、3段に築かれた造り出しの上段から「粘土槨(かく)」と呼ばれる粘土で覆った埋葬施設が見つかった。粘土槨は全長約6・4メートル、幅約1・2メートルで、内部に木棺が埋葬されているのを確認。同11月末には木棺を覆った粘土層から盾形銅鏡、その上層から蛇行剣が出土した。
初めて出土した盾形銅鏡は長さ64センチ、最大幅31センチ、最大の厚さ0・5センチの青銅製。背面中央に突起の「鈕(ちゅう)」があり、その上下に国内で創出されたという神獣を表す「鼉龍文(だりゅうもん)」が円形に施されていたことから「鼉龍文盾形銅鏡」と命名した。円の外側にはのこぎり形の鋸歯文(きょしもん)も見られ、高度な技術力により薄い板と鏡を融合させた青銅製品の最高傑作という。
蛇行剣は、柄(つか)、鞘(さや)の痕跡から装具を含めた全長は267センチに復元できる。国産とされる蛇行剣は85例の出土が確認されているが、今回の蛇行剣は最大で最古。鉄剣としても広島市の中小田第2号古墳の全長115センチを大きく上回った。
発掘現場は1月28日午後0時半~3時と29日午前10時~午後3時に一般公開した。蛇行剣と鼉龍文盾形銅鏡は橿原考古学研究所に持ち込み、応急的な保存処置を進めているため、公開されない。
国宝級と評される巧みな意匠が施された盾形の青銅鏡と国内最大の「蛇行(だこう)剣」。その生産技術の高さは、研究者を驚嘆させる水準だとされる。中心被葬者は一体誰なのかー。巨大円墳の位置づけを考える上でも今回の発見が大きな手掛かりになるとみられる。
「とにかく剣の長大さにびっくりした。どうやって打ったのか」
墳丘北東部分に張り出した「造り出し」で行われた発掘調査で昨年11月末、蛇行剣と盾形銅鏡が相次いで見つかった際、現場を担当する奈良市教育委員会の村瀬陸主務は類例のない副葬品に目を見張ったという。
その後、現場には続々と研究者が訪れ、出土状況を熱心に視察。2メートルを超える長大な剣と初めて目にする形の銅鏡に一様に驚きの声を上げ、特異な副葬品に込められた意味や技術について、考察を巡らせることになった。
巨大円墳の中心被葬者は誰か
「盾と鏡を融合する例のないデザインを創造して形にできる技術力を目の当たりにし、驚嘆の一言だ。より強い力で、被葬者に邪悪なものを近づけまいとしたのだろう。さらに芸術的な面も考えて作られているのが、この遺物の特異なところだ」
盾形銅鏡についてそう解説するのは福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)。最も厚い部分で0・5センチという薄板に、細かな文様を入れるなど技術が駆使されており、被葬者のもとに高度な技を持つ工人集団が存在していたことが推定されるという。
墳頂部では昭和47年に奈良県教委の調査で、別の粘土槨(かく)の埋葬施設が見つかっている。ここに葬られたのが中心人物で、今回調査した造り出しの被葬者は第2の地位に立つ人物とみられる。豊島直博・奈良大教授(考古学)は「蛇行剣も盾形銅鏡も魔術的なもので、造り出しの被葬者は軍事と祭祀(さいし)に通じ、中心人物を支援した人だろう」と話す。
もっとも「出土品は棺に入っていないので造り出しの被葬者のものかは疑問」(岡林孝作・橿原考古学研究所副所長)と古墳全体を視野に入れて考えるべきだとの見解もある。
富雄丸山古墳は、他の古墳群から独立し、大阪と通じる交通の要衝に位置する。今回の発見から中心被葬者はどんな人物が考えられるのか。
この点について、和田晴吾・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「(北東にある)佐紀古墳群と関係が深く、古墳造りは軍事ともつながるため重要な位置に築かれた」と富雄丸山古墳の位置づけを説明。被葬者は「ヤマト王権の中枢を構成した有力者だろう」と予測した。
福永氏も「中心被葬者はヤマト王権に近い有力者で王権の工房を管理する役回り。造り出しの被葬者は有力者の家産を預かる腹心的人物では」と推測。「王権中枢が奈良北部から大阪・河内へ移る過程を検証する上で、時代的にも場所的にも過渡的な位置にある古墳といえる」とする。
一方、別の見方をする研究者も。辰巳和弘・同志社大元教授(古代学)は「ヤマト王権の象徴である前方後円墳ではなく、円墳であることに別の存在が表れている」と指摘。その上で、神武天皇の大和入りを阻止しようとした記紀神話の土豪、長髄彦(ながすねひこ)(登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ))の存在を挙げ、「長髄彦の伝承が生まれるもとになった人物ではないか」と話した。
■富雄丸山古墳 奈良市西部を流れる富雄川の西側に位置する国内最大の円墳。3段築成で、直径は約109メートル。4世紀後半に造られた。奈良県教育委員会が昭和47年に実施した調査で墳頂部に粘土槨(かく)(埋葬施設)を確認。明治時代に盗掘された副葬品は京都国立博物館に所蔵され、重要文化財に指定されている。