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現実の光景にコンピューターグラフィックス(CG)を重ねて表示する拡張現実(AR)技術を活用して、重さの感じ方を操作できるとする論文を東京都立大学の樋口貴広教授、渡邉諒特任助教、横山紘季氏、梅森琢磨氏とソニーグループの井上純輝氏(同大客員研究員)、石川毅氏、小俣貴宣氏らの研究チームが発表した。AR技術を使った実験で、重さが等しい大小の物体を持ち上げたときに小さい方を重いと感じる「サイズウェイトイリュージョン(SWI)」と呼ばれる錯覚現象が確認されたという。この研究に関する論文はデジタル領域を中心に学術論文を広く掲載する電子ジャーナル「Journal of Digital Life」(ジャーナル・オブ・デジタル・ライフ)で公開されている。
ソニー・インタラクティブエンタテインメント、Facebook(現Meta)などのメーカーが仮想現実(VR)機器を相次いで市場に投入した2016年は「VR元年」と呼ばれた。世界的な出荷台数は一時落ち込んだが、ARを含めたソフトウェア・アプリケーションの分野が堅調に規模を拡大している。
今年はソニーが2月に「PlayStation VR2」を発売、Metaが6月に「Meta Quest 3」を年内に発売すると発表した。大手ーメーカーが新機種投入の動きを見せるなか、参入を見送っていた“最後の大物”Appleがゴーグル型AR端末「Apple Vision Pro」を来年発売すると明らかにしており、VR・AR・MR(複合現実)に関連する業界が活気づいている。
視覚に強く影響するAR等の技術に関しては、以前から“脳をだます”研究が盛んに行われてきた。五感を通して外界からの刺激を受け取るとき、人間は視覚によって得る情報が大部分を占めるためだ。例えば、ヘッドマウントディスプレーを装着してクッキーを食べるとき、AR技術によってクッキーを大きく見せると通常より満腹感が増したという実験もある。
樋口教授らの研究チームはAR技術が人間の「質量知覚」に影響すると考えて、主観的な重さの感じ方を左右する錯覚現象、SWIの実証実験を行った。SWIのメカニズムについて樋口教授は「見た目が大きい物体の方が重く、小さい物体は軽いという先行知識に基づいて質量を事前に予測するために、同じ重さの物体を持ったときに予測と実際の感覚にずれが生じて、小さい物体をかえって重く感じるのではないかと考えられています」と説明する。
実験の方法はこうだ。実験参加者はカメラ付きのヘッドマウントディスプレーを装着して、周囲の様子をリアルタイム映像で見ている。台の上には小サイズ(6センチ×6センチ×6センチ)の物体、または大サイズ(6センチ×9センチ×6センチ)の物体が置かれている。
しかし、参加者がヘッドマウントディスプレー越しに見ても、AR技術によって小サイズ(7センチ×7センチ×7センチ)、または大サイズ(7センチ×10.5センチ×7センチ)のCGが物体に重なって表示されるので、実物を直接見ることはできない。参加者の頭の位置などをセンサーが取得して、視点を移動させたり物体を動かしたりしても、リアルタイム映像ではCGが物体をすっぽり覆うようになっていた。
参加者は大小のCGによって判断を迷わされた状態で、持ち手の部分をつまんで物体を持ち上げて、どの程度の重さに感じたかを回答した。実は、大小の物体はどちらも同じ210グラムだったが、参加者には具体的な質量や物体のパターンの数などは知らされなかった。
樋口教授は「CGのサイズ情報が質量予測に影響するのであれば、実際に持ち上げる実物体の形状によらず、重ねて表示したCGのサイズに基づいて錯覚が生起する(SWIが起きる)」と仮説を立てて(1)小サイズの物体に小サイズのCGを重ねる、(2)小サイズの物体に大サイズのCGを重ねる、(3)大サイズの物体に大サイズのCGを重ねるという3パターンの実験を実施。22人の実験データをまとめると、CGのサイズが大きい(2)と(3)よりもCGのサイズが小さい(1)を重いと評価する傾向がみられた。
実物のサイズに関係なく、CGのサイズを変えることでSWIが起きたことから、研究チームは「AR環境下で仮想物体の視覚的特徴を操作することで、人の質量知覚に介入することが可能であることを明らかにした」と結論づけた。
同様の検証は海外でも行われていて、半透明のCGを物体の上に表示させる先行研究においては「AR環境下でCGのサイズを変更しても質量知覚を操作することはできない」とされていた。先行研究と異なる結果になったことについて研究チームは、半透明のCGを用いると実物体と仮想物体のサイズ情報が干渉し合うため「質量知覚を操作するにはCG映像のみを投影するといった工夫が必要であると考えられる」と述べた。
また、ヘッドマウントディスプレーを装着して物体を持ち上げる直前や直後にCGのサイズを変える実験と、画面を黒く表示して周囲が見えない状態で物体を持ち上げる実験も行われたが、統計的に有意な錯覚は起こらなかった。
樋口教授によると、今回の研究成果はゲームや体験型娯楽といったエンターテインメント分野での活用が期待できるという。例えばARゲームでコントローラを武器や道具に見立てて遊ぶとき、コントローラに重ねて表示するCGを場面に合わせて調整することで、参加者が感じる主観的体験をよりリアルなものにする効果などが見込めるとしている。
筆者:野間健利(産経デジタル)
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2023年7月6日産経デジタルiza【From Digital Life】を転載しています