岡山県の円珠院に所蔵されている「人魚のミイラ」と書き付け
=2月2日、岡山・倉敷芸術科学大(共同)
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岡山県の寺に、ある珍品が眠っている。「人魚のミイラ」。その名の通り、上半身は霊長類、下半身は魚類に見えるミイラだ。正体は何なのか。科学的そして民俗学的に解明するプロジェクトが始まった。放射線などを利用して内部構造を分析する「コンピューター断層撮影(CT)」やDNA型鑑定も用いた本格的な調査の最終報告は、今秋に予定されている。
体長は約30センチ
岡山県南西部・浅口市の山間にある円珠院(えんじゅいん)。桐箱の中で厳重に保管されてきたこの寺のミイラが2月、倉敷芸術科学大(同県倉敷市)に運び込まれた。
古生物学が専門の加藤敬史(たかふみ)教授を中心に、魚類学や分子生物学に詳しい研究者計3人で調査に着手。CTや電子顕微鏡で解析したところ、4月の中間報告で次の事実が示された。
ミイラは体長約30センチ、重さ365グラム。目のくぼみ「眼窩(がんか)」は前を向き、顔には眉がある。頭部から太い直毛と細く縮れた2種類の毛が生えており、人間やほかの哺乳類と同じく毛の外側を覆う「キューティクル」が確認された。一方で、下半身には背びれや尾びれがあり、ウロコで覆われていた。
霊長類を思わせる上半身ではあるが、〝異変〟も見つかった。歯は円錐(えんすい)形で、肉食系の魚類を想起させるものだった。肩や首付近にはウロコのようなものがあったが、下半身のウロコとは特徴が異なっている。
今後はDNA型鑑定や放射性炭素年代測定を用いながら、似た特徴の生物がいるかや、どのような防腐処理がされているかを分析。予断を許さず実態解明を進めるという。
高知県沖で漁網に
プロジェクトの目的は「人魚」の正体だけでなく、それが重宝された文化的背景を調べることにもある。
歴史をひもとく手がかりは、保管されていた桐箱に添えられた由緒書き。そこには次のような趣旨の説明がある。
《人魚は、江戸時代中期の元文年間(1736~41年)に高知県沖で漁網にかかった。大阪で売られていたところ、広島県福山市の『小島家』が入手。家宝としていたが、明治36(1903)年、『小森豊次郎』に譲り渡した》
円珠院の柆田(くいだ)宏善(こうぜん)住職によると、明治末期ごろからこの寺で保管していたとみられるが、引き取った経緯は判然としないという。
「人魚のミイラ」をコンピューター断層撮影(CT)にかける柆田宏善住職(中央)ら(倉敷芸術科学大提供)
昭和50年代には、新聞やテレビで取り上げられて話題を呼び、ケースに入れて展示した時期もあった。しかし、先代住職が公開を止め、その存在を知るのは檀家(だんか)などに限られた。
不老不死伝説も
今回のプロジェクトのきっかけは、郷土史を調べる地元グループの活動だった。
岡山県出身の博物学者は調査中に、このミイラを撮影したネガフィルムを発見。グループの顧問を務める岡山民俗学会の木下浩理事らが円珠院を訪れ、現存しているのを確認した。
グループには倉敷市立自然史博物館の学芸員もおり、同館が開催する妖怪展で展示する計画が浮上。それにあわせて倉敷芸科大の協力をもとに本格的な調査をすることになった。
人魚には、その肉を食べれば不老不死になるという伝説がある。全国各地には人魚の肉を食べて800年以上も生きた「八百比丘尼(やおびくに)」と呼ばれる女性の逸話や名所が残っている。
一方で、木下さんによると、江戸時代に和歌山県周辺には偽物の人魚のミイラを作る集団がおり、「見世物(みせもの)小屋で披露されたほか、珍品としてヨーロッパにも輸出されたのではないか」と推察。実際に、英国・大英博物館では日本由来とされる「人魚のミイラ」が所蔵されており、「サルと魚で作られている」と紹介されている。
円珠院の「人魚」の正体は今秋の最終報告を待つ必要があるが、長年にわたり健康長寿を願う人々の心のよりどころになってきたのは揺るがない事実だ。
「仮に作り物だったとしても、信仰の対象としての役割や込められた人々の思いは変わらない」(柆田住職)。いかなる結論でも、寺の宝として保存していく意向だ。最終報告に先立ち、倉敷市立自然史博物館で展示(7月16日~9月25日)されるという。
筆者:小川原咲(産経新聞)