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A Uyghur woman from the Xinjiang Region talks about China's forced sterilization of Uyghur women and missing family members. (© Sankei)

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■中国政策「1980年ごろから」 「もう子供作らない」誓約書

 

中国当局による新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権弾圧をめぐり、少数民族ウイグル族出身の元医師の女性がトルコで産経新聞のインタビューに応じた。女性は「約80人に強制不妊手術を行った日もある」と明かし、同自治区内で大規模な強制不妊手術が行われている実態を証言した。強制不妊手術について中国側は否定するが、欧米など国際社会では「ジェノサイド(民族大量虐殺)」の要件の一つだとして問題視している。

 

 

女性は、新疆ウイグル自治区で婦人科医だったギュルギネさん(47)。2011年に移住したトルコ最大都市のイスタンブールで取材に応じた。

 

「トラックの荷台に乗せられて、多数の女性が病院に送られてきた。(不妊手術は)1人5分ほどで終わるが、何をされるのか不安で女性たちは泣き叫んでいた」

 

同自治区の区都ウルムチの病院で不妊手術を行っていたというギュルギネさんは、T字型やU字型の子宮内避妊具(IUD)の写真データを示し、「こうした器具を女性たちの子宮に装着した」と説明した。

 

 

14年以降、不妊手術を受けた同自治区住民が急増していることは、中国政府の統計資料で分かっている。卵管結束と精管結束による不妊手術を受けた男女は18年時点で約6万人と13年の約14倍。IUDの装着手術も毎年20万~30万人に対して行われ、装着済み女性は17年時点で約312万人に上る。妊娠可能年齢の既婚女性の6割に達している。

 

ギュルギネさんによると、同自治区内で強制不妊が組織的に始まったとみられるのは1980年ごろという。中国で産児制限「一人っ子政策」が開始された翌年のことだ。

 

「手術の意味は理解していたが、ウイグル族政策だったことは後で知った」と話し、「私も不妊手術を施された」と明かした。

 

同自治区での暮らしに耐え切れず、イスタンブールに逃れたギュルギネさんの元には「子供ができない」とウイグル族出身の女性たちが相談に来る。これまでに150人以上を診察したが、多くは不妊手術を施されていたことを知らず、説明すると怒って泣き出す女性もいるという。

 

「子宮内に器具が長期間入っていれば、周囲の組織と癒着し、取り出すのに骨が折れるケースがある。感染症やがんの原因にもなり得るし、精神に異常をきたす女性もいる」

 

強制不妊はウイグル族をマイノリティーの地位にとどめておくための中国当局の政策だ-とみるギュルギネさんは、「(同自治区で暮らす)親類に迷惑がかかるから」と姓を明かさず、写真撮影も拒んだ。

 

 

ギュルギネさんの紹介で、イスタンブールに住む主婦、カルビヌル・カマルさん(50)に会った。

 

カマルさんが不妊手術を施されたのは、同自治区グルジャに住んでいた2006年7月、3人目の子供を出産した当日だった。

 

同自治区の都市部では産児制限により3人目の子供は許されていなかった。このため、1人しか子供がいない兄の妻になりすまして出産。その直後、病院で「もう子供はつくらない」という誓約書を書かされ、不妊手術を受けたという。

 

「この体はもう私のものではない」。そう思うようになったカマルさんはうつ状態になり、2カ月ほど体調不良が続いた。不妊手術のことを打ち明けると、母親も「実は、私も受けさせられた」と漏らした。多くの友人も同じだった。

 

3人目の子供は兄夫婦が育てていたが、09年にウルムチで起きた暴動の後、中国政府はウイグル族の懐柔策として3人目の出産を一時的に容認。その際、役人に賄賂を払って自分の子供として登録し直し、引き取ったという。

 

「私たちはこの国では歓迎されていない。ここには未来がない」。そう思ったカマルさんは13年に夫と子供3人と中国を脱出した。

 

「トルコに来たからといって悩みが消えるわけではない。収容所に送られた多くの親類のことを考えない日はなく夜も眠れない」

 

カマルさんは今、17年にウルムチの職場から突然連行され、行方不明になったおいの解放を中国当局に求める活動を行っている。

 

筆者:佐藤貴生(産経新聞中東支局)

 

 

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