~~
2人の男には共通点がある。母ときょうだい、それにオンライン上のわずかなつながり以外、他者との交わりがないこと。1年以上にわたって周到に準備し、一人でやり遂げたこと。自身の計画への執着ぶりは、鏡像のように重なって見える。
2年前の7月8日に、元首相の安倍晋三を銃撃した山上徹也(43)。それにニュージーランド・クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)で5年前、凄惨な銃乱射事件を起こした白人至上主義者、ブレントン・タラント(33)。いずれも世間を震撼させたテロのローンオフェンダー(単独の攻撃者)だ。
ただ事件後、それぞれの名前は、世論から全く異なる扱いを受ける。
母親が旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の熱烈な信者だった山上は、親の信仰により困難な人生を余儀なくされた「宗教2世」の象徴的存在として連日洪水のような報道がなされ、世間の同情は宗教団体への寄付を念頭にした規制立法につながった。
一方のニュージーランド。タラントの名前は直後からほぼ匿名で扱われ、その姿も限定的にしか放映されなかった。
凶行 ライブ配信
2019年3月15日、ニュージーランド南島クライストチャーチにある「アルヌール・モスク」がタラントの標的だった。
金曜日の昼の礼拝時、モスクの入り口には何足もの靴が並んでいた。鮮やかなブルーの絨毯が敷かれた男女それぞれの礼拝室には、300人ほどが集まっていた。静寂は間もなく、銃声にうち破られた。
武装したタラントは逃げ惑う人や折り重なるように倒れる人々に執拗(しつよう)に銃を撃ち続けた。それから外に出て車で移動し、もう一つのモスク「リンウッド・イスラムセンター」でも凶行に及んだ。
死者51人、負傷者49人。装着したボディーカメラを使って乱射の映像をインターネットで同時配信し、動画は瞬く間に世界中に拡散された。
首相の異例声明
ニュージーランド史上類をみない凶悪な事件から4日後の3月19日。当時の首相、ジャシンダ・アーダン(43)は議会で、銃撃犯の名前を今後一切口にしないと宣言した。
「犯人の目的の一つが悪名を世に知らしめることだ。私は今後一切、男の名前を口にしない。犯人の名前ではなく、犠牲者の名前を語ってください。犯人に名前など与えてはいけない」
首相による異例の表明は国内だけではなく、世界中のメディアで少なからぬ驚きをもって報じられた。
事件が重大であればあるほど、犯人の個性は重要な意味を持つ。その来歴、思想、動機-できる限り取材を尽くし、掘り下げようとするのがメディアの性(さが)といえる。だがニュージーランドの大半のメディアは、生い立ちなどを報じつつも、タラントのイデオロギー、そして名前は、極力出さないスタンスをとった。
首相の要請に従ったのではなく、表現の自由の一形態として「報じない自由」を行使したのだ。
「知る権利」との狭間の苦悩
「首相から話を聞いてすぐに賛成した。あのとき、ニュージーランド全体がショックを受けていた。恐怖の連鎖を止め、容疑者の目的を広める土台を作ることは避けたかった」
ニュージーランド・クライストチャーチのモスク銃乱射事件当時、「犯人の名前を口にしない」と宣言したジャシンダ・アーダン(43)の政権下で、法務大臣などを務めたアンドリュー・リトル(59)はそう振り返る。
同国において、いわゆる主要メディアは決して多くない。新聞は大手を含め22紙、ニュースを報じるテレビ局も2社ほどだ。新聞、テレビ、ラジオなど合わせて300社を超える日本に比べれば、相当小規模といえるだろう。
だから統制しやすい、ということではない。リトルによれば、その分独立志向が強く、首相の宣言には「言論の自由をコントロールするものだ」といった反発もあった。
だが結果的に、ほとんどのメディアがこれに呼応する形となった。
地元紙「ザ・プレス」(The Press)は事件翌日の朝刊で、銃撃犯であるブレントン・タラントの名前を見出しにはとらず、記事中に掲載するにとどめた。
タラントは犯行前、過激な書き込みで知られた匿名掲示板8chanにマニフェスト(犯行声明)を投稿。目的の一つに「名前を知らしめること」を挙げていた。
テロがテロリストの名前とともに記憶されるとき、それが次のうねりを生じることを、自身の経験から知っていたのだろう。タラントにとっての〝英雄〟は2011年にノルウェーで77人を殺害した白人至上主義者、アンネシュ・ブレイビク。マニフェストでその名に触れ、影響を受けたと記している。
こうした思想・動機を考慮し、同紙幹部らは議論の末、タラントの名前はできる限り載せないという編集方針を決定する。同紙のベテラン記者、カマラ・ヘイマン(56)は「首相はメディアに指示したわけではない。あくまで首相の意見として述べた。そしてザ・プレスも自分たちの判断として名前を載せなかった」と話す。
前例なき報道ガイドライン
ニュージーランドの主要報道機関は同年5月、タラントの裁判を巡る報道のガイドラインに合意した。白人至上主義やイデオロギーを積極的に擁護する内容の報道を、開かれた司法の原則に反しない範囲で制限する▽イデオロギーを広める目的で制作されたメッセージや画像は放送・報道しない▽裁判取材にあたる記者は経験豊富な人材とする-といった内容で、前例のない取り決めだった。
一方、タラントの名前を出さないという合意はしていない。ガイドラインをまとめたメディアの一つ、日刊紙の「ニュージーランド・ヘラルド」(The New Zealand Herald)は同年6月14日、起訴されたタラントの画像を公開し、合わせて社説を掲載した。
「これは考え抜いた結果であり、軽い気持ちで決定したことではない。ヘラルド社の編集主任たちは徹底的に議論を重ねた」
その上で公開を決断した理由として、裁判報道におけるメディアの責任に言及。「ブレントン・タラントは特別扱いを受けてはならないが、特別扱いを受けるべき人々もわれわれの記事を読んでいる」と、裁判に参加できない被害者遺族を念頭に置いた報道であることを強調した。
そして、事件発生からそれまでの報道と同様に「われわれの記事の多くには被告の名前も写真も掲載しない」と、必要最小限の公開にとどめると結んでいる。
一連のニュージーランドメディアの動きからは同国史上最悪といわれるヘイトクライムに接した報道関係者がただ情報を垂れ流すのではなく、さまざまな価値観を比較衡量し、苦しみながら報じたことがよく分かる。
あれから5年。ヘイマンはその後の報道も振り返り、こう語った。
「市民には名前を知る権利がある。ただ、いま彼の名前を聞きたいと思う市民はいないだろう」
(呼称・敬称略)
◇