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全国で唯一、県庁所在地に立地する中国電力の島根原子力発電所(松江市)。3基ある原発のうち、1号機は廃炉作業中で、2号機は平成23年の東京電力福島第1原発事故後に運転停止した後、再稼働に至っていない。24年3月に稼働開始予定だった3号機は、新たな基準のもとで原子力規制委員会の審査に入っており、稼働の見通しは立たない。施設の大半が建設されて以降、約10年間にわたって一度も稼働せず、沈黙を続ける3号機。今回はその内部を巡り、最深部、原子炉の格納容器などを取材した。
県庁所在地に立地
松江市の中心部、島根県庁周辺から車で約30分走ると、日本海に面した島根半島に島根原発がある。17年に所在地の鹿島町が松江市と合併したため、全国で唯一の県庁所在地にある原発となった。
ゲートで身元確認を済ませた後、敷地内に入る。200万平方メートル近い広大な敷地内でまず目についたのは、工事現場の多さだ。中国電力広報部の藤本裕亮さんは「福島第1原子力発電所の事故後、より高い安全性が求められるようになりました。その基準に適合させるために新たな安全対策設備の整備が続いています」という。
最初に、島根原子力本部副本部長の長谷川千晃さんから島根原発の全体像についてレクチャーを受ける。
「万が一、事故が起きた場合、住民の避難が必要になる。原子力災害に備えて防災対策を講じることとなっている区域は原子力発電所から30キロ圏内であり、対象者は島根、鳥取両県で約46万人。これは国内で3番目の多さです」。島根原発は、多くの人の安全を背負っていることを実感した。
一方、改良型沸騰水型原子炉である3号機の出力は国内最大級の137・3万キロワット。島根、鳥取両県全域の必要電力がまかなえる電源になる。さらに2、3号機が稼働すれば二酸化炭素の排出量も、現在より3割削減が見込めると試算されているという。
デジタル中央制御室
施設の案内役は、広報部長の渡部公一さんが務めてくれた。事故時に指揮所となる緊急時対策所と、最大想定11・9メートルの津波に備えた同原発の海側約1・5キロにわたる海抜15メートルの防波壁などを見て回る。
そしていよいよ、3号機へ。通常ならば、原発内部へ入るには特定の作業服の着用が必要だが、3号機は未稼働のため、ヘルメットと防寒用のジャンパーだけで入れた。
渡部さんは「平成24年3月に運転開始予定だった3号機は、原子炉に燃料を挿入する前の段階までは完成していました。しかし、試験運転前に東日本大震災が発生し、新たな安全基準に適合させるための審査対応や追加工事が必要となったのです」という。
まずは、発電所設備のコントロール部分、中央制御室へ向かう。途中の通路には配管が張り巡らされ、入り口と各部屋は、津波などによる水の浸入を防ぐ約90もの水密扉で守られているという。扉の厚さは15~30センチにもなる。福島第1原発事故を教訓に改良を加えられたそうだ。
3号機の中央制御室は、フルデジタルでタッチパネルで操作可能。壁面には原発内のさまざまな数値がデジタルで浮かび上がる。まるで、SF映画で見た宇宙船のコックピットのようだ。スイッチを手動で動かす2号機より、数値や発電所の状態の見やすさが向上し、運転員の負担も小さい。ただ、「安全性に違いはない。マニュアル車とオートマ車の違いのようなもの」と渡部さんは説明する。
思わず、息をのむ
そして、原子炉建物へ。深さ12メートルの燃料プールは、運転を始めれば水をためるが、今は水は張らず、新燃料を保管しているという。
いよいよ原子炉圧力容器の真下へ向かう。3号機は安全な運転と安定した出力を保つため、核分裂の連鎖反応を低減する制御棒を205本持つ。福島第1原発と同じ沸騰水型の原子炉で、圧力容器内の出力レベルなどを計るセンサーケーブルが何本も垂れ下がっていた。
「福島第1原子力発電所事故でいえば、溶け落ちた燃料デブリ(溶融燃料が冷えて固まったもの)がたまったのがこの場所にあたります」と渡部さん。「そんな内部まで来たのか…」と思わず息をのんだ。
渡部さんは福島第1原発事故以前と以後では、重大事故に対する対策が全く違うという。島根原発では電源と冷却機能の確保に向け、耐震性を高めた外部電源の受電設備やガスタービン発電機の設置、大量送水車の配備など、備えを強化してきた。「事故が絶対に起きないと断言することはできないが、テロ対策を含め、安全性を高める努力を続ける」と話していた。
2号機は今年9月に原子力規制委員会による再稼働の前提となる1つ目の審査に合格したものの、他の審査や、地元自治体の了解手続きなどが続く。3号機の稼働に向けた審査も終了時期は見えない。
まずは安全性が大切だ。そのため、慎重な審査が重要だと思う。だがその一方で、稼働の時期も分からないなか、約10年にわたり、地道にメンテナンスを続けてきた巨大施設を前に哀愁のようなものも感じた。
緊張感のある取材から一息ついて、たわいのないことだが、ちょっと気になったことを聞いてみた。
3号機の原子炉建物に出入りする際、二重扉を通る。その開閉ボタンを押すと往年の名曲『明日があるさ』のメロディーが流れた。選曲に何か意味があったのですか、と。重厚で堅牢(けんろう)な施設にあって、ふと懐かしいメロディーを聞き、どこか人間味のようなものを感じたからかもしれない。
聞くと、3号機建設時に、当時の所長が「前向きに行こう」と選曲したという。『明日があるさ』のメロディーが、先の見通せぬなか原発内で働く人たちの背中を押していたのかもしれないと思った。
筆者:藤原由梨(産経新聞)