韓国最大の財閥、サムスングループを率いた李健煕(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長が、10月25日に78歳で死去した。健煕氏は、強力なリーダーシップと先見性で中核企業のサムスン電子を世界有数のIT企業に育成。一方、その人生には政界との癒着や同族経営といった「影」の部分もつきまとった。カリスマ経営者のレガシー(遺産)は、死後もサムスンの経営にさまざまな形で影響を及ぼしそうだ。
健煕氏は、サムスン財閥の創業者である李秉●(=吉を2つヨコに並べる)(ビョンチョル)氏の三男として1942年に生まれた。87年に秉●(=吉を2つヨコに並べる)氏が死去すると、後継者としてグループ会長に就任。急性心筋梗塞で意識不明となった2014年まで、約27年間にわたりグループを率いた。
後を継いだ当時、サムスン電子の家電は、先進国では安物扱いされていた。このため李氏は品質重視を徹底。不良品が出た携帯電話を回収し、計15万台を燃やすパフォーマンスをしたことは、今でも語り草となっている。
第二の創業を打ち出した1993年の経営方針で社員に変革を求め、「妻子以外は全て変えるべきだ」と訴えたエピソードもよく知られる。
サムスン電子は、スマートフォンのほか、記憶用半導体や有機ELディスプレーなど、多くの製品で世界トップのシェアを握る。2019年の売上高は約21兆円、本業のもうけを示す営業利益は約2兆5千億円。今や日本の電機大手が束になってもかなわないほどの高い収益力を誇る。
サムスンの飛躍は、「国の地位と国民の自信まで高めてくれた」(与党・共に民主党代表で前首相の李洛淵(イ・ナギョン)氏)と感謝されるほど、韓国人に自信と誇りを持たせた。韓国には「憧れ」のサムスンに入社するための学校が存在し、無関係の不動産屋や商店が「サムスン」と記した看板を掲げる。
筆者:名村隆寛(産経新聞ソウル支局)