Artwork Brings Futaba Town Back from Fukushima Disaster 007

 

 

巨大な人さし指が更地の一点を突き刺すように指し示す。かつて、にぎわいがあった場所。力強い文字は「HERE WE GO!!!」。東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の影響で全町避難が続く福島県双葉町。JR双葉駅前の一等地だったところに壁画が誕生した。11日で震災から9年7カ月。来年3月11日には10年となるのを前に、町をアートで再生しようというプロジェクト「FUTABA Art District(フタバアートディストリクト)」が動き出した。壁画は再生を信じる決意表明のよう。町の未来は「ここから、始まる」。

 

 

双葉駅を降りてすぐ。赤髪の女性を描いた壁画が目に飛び込む。地元の人なら誰でも知っている笑顔。ファストフード店「ペンギン」のおばちゃんこと、吉田岑子(たかこ)さん(75)だ。

 

「誰も住んでいないところでもアートがあるだけでだいぶ違う。ここから双葉は始まるんだというのろしを上げたかった」

 

そう話すのは、町で居酒屋「JOE'SMAN(ジョーズマン)」を経営していた高崎丈さん(39)。地面を指す左手の壁画のモデルで、プロジェクトを提案した一人だ。壁画が描かれたのは、高崎さんの両親の洋食店「キッチンたかさき」があった場所でもある。

 

 

イメージ払拭へ

 

高崎さんは原発事故後、神奈川県に避難し、現在は東京・三軒茶屋で「JOE'SMAN2号」を営む。オランダを旅行したとき、廃虚だった造船所跡地をアートで再生した町を訪れ、感じるものがあった。

 

「原発事故の町という双葉のネガティブな印象をアートで変えたい」

 

壁画アートなどを手掛ける「OVER ALLs(オーバーオールズ)」が高崎さんを後押しした。米ロサンゼルスで工場地帯や倉庫街をアートの力で人気スポットに変化させた「アートディストリクト」を日本でも実現させたいと思っていた社長の赤沢岳人さん(38)が、高崎さんの思いに共鳴。すぐさまプロジェクトが始動し、8月上旬に第1弾となる「HERE WE GO」を完成させた。

 

「原発事故ではない双葉を描きたかった。駅を降りた瞬間に『ワオ!』と思うものを。復興の後押しになれば」と赤沢さん。

 

 

未来を見つめ

 

10月7日、第2弾となる吉田さんの絵が完成した。ペンギンの人気メニューだったドーナツの穴から町の未来を見つめ、朝の太陽が昇るイメージ。10月に町内の別の場所にペンギンが復活、町で最初に再開した飲食店ということから、「ファーストペンギン」とタイトルがつけられた。

 

餌をとるため、群れの中から天敵がいるかもしれない海に飛び込む最初のペンギン。リスクを恐れず果敢に挑む人をファーストペンギンと呼ぶ。迫力ある壁画のタッチは、そんな言葉とも重なり合う。

 

原発事故前、帰宅途中の学生が「ただいま」とペンギンに入ってきた。もうけることを忘れ、子供たちのおなかを満たしてやろうとドーナツやハンバーガーを食べさせた。子供たちにとって、ペンギンはもうひとつの家、吉田さんはもうひとりの母だった。

 

現在暮らしている埼玉県から壁画を見にきた吉田さん。「ペンギンはみんなの青春の場所。これだけ思っていてくれたなんてうれしい。みんなを見守っているよう」と笑顔を浮かべた。

 

今後も町には壁画が増える。高崎さんは「たくさんの人に力を貸してもらって双葉が歩み出している。若者が住みたいと思ってもらえるような町に再生していきたい」と未来に誓った。

 

筆者:大渡美咲

 

 

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