菅義偉首相は中国に対して融和的な対応に転じるのではないか-。つい、そう考えてしまった。自民党内では親中派である二階俊博幹事長の影響力が強まり、菅首相自身が党総裁選で「反中包囲網」に否定的な考えを示したためだが、その見方も改めた方がよさそうだ。安倍晋三前首相の実弟で親台派で知られる岸信夫氏を防衛相に起用したからだ。これには中国が警戒を強める一方、台湾は非常に歓迎している。前政権を継承する菅外交の一端が垣間見られた。
岸氏は防衛政務官や外務副大臣、衆院安全保障委員長を経験し、かねてから防衛相候補の一人だった。ただ、岸氏以外に防衛相候補者がいなかったわけではない。
そもそも菅内閣では再任や同じポストでの再登板が目立つ。再任では麻生太郎副総理兼財務相や茂木敏充外相、再登板では上川陽子法相や田村憲久厚生労働相らがそれに当たる。新型コロナウイルス禍で堅実な政権運営を考えれば、経験者で固めた方が無難だからだろう。
それならば、自衛隊の運用をはじめ、防衛法制と憲法との整合性を国会で問われる防衛相にも、経験者を充ててもよかったはずだ。それでも菅首相は、台湾との友好促進を図る超党派議連「日華議員懇談会」幹事長の岸氏を登用した。
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「1972(昭和47)年の日中共同声明に従い、適切に対応していきたい」
岸氏は就任2日後の9月18日の記者会見で、台湾との防衛交流について尋ねられ、こう答えた。台湾との関係に関しては「基本的な立場として1972年の日中共同声明の通り、台湾との関係を非政府間の実務的関係として維持していくということで一貫している。防衛相としてこうした立場に基づき適切に対処したいと考えている」と語った。
だが、雑誌「正論2020 1月号増刊 台湾危機」で、岸氏は日台の安全保障協力を進めるべきだと明言している。
「日台の安保対話はぜひ進めていくべきです。そして、米国の関与、プレゼンスを示していくことが何よりも重要だと思うので、日米台で安保対話ができるようにしていくべきだと考えます」
岸氏はこの前段で、産経新聞による台湾の蔡英文総統のインタビューに触れている。蔡氏は昨年、産経新聞紙上で、中国の脅威を念頭に安全保障問題やサイバー攻撃に関して日本政府と対話したいとの意向を表明した。岸氏は「これに対して日本政府は直接反応していません。蔡英文総統側にすれば残念なことだと思います」と話している。
岸氏の防衛相就任は台湾でも現地メディアが伝えており、台湾では日台の安全保障分野の関係強化に対する期待が高まっている。
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もう一つ注目しておくべきことがある。森喜朗元首相が台湾を訪問した際、蔡氏に「機会があれば、菅首相は蔡総統と電話会談したいと考えている」と語ったことだ。これについて加藤勝信官房長官は「予定はないし、調整している事実もない」と否定している。
だが、5年前にも同じようなことがあった。ここでも岸氏が登場する。
平成27年10月8日、安倍前首相と蔡氏が同じ時間帯に都内の同じホテルに居合わせた。台湾総統選で蔡氏が当選する前で、安倍、蔡両氏は日台間の協力関係を確認したとみられているが、双方とも会談を否定している。
首相は同日正午過ぎから1時間20分余りホテルに滞在。岸氏や山口県の村岡嗣政知事らとの会食だったとしている。一方、蔡氏側も同じ時間帯にこのホテルにいたが、日本の対台湾窓口機関「交流協会」会長との昼食と説明している。双方とも公式には認めていないが、非公式に接触したとみた方がいいだろう。
森氏の伝言もこれと同じ効果を狙ったのではなかろうか。公には否定するが、菅、蔡両氏の電話会談を強くにおわせ、日台で中国を牽制(けんせい)する。第三者には事実かどうか分からず、中国は反発しようにも迫力が欠ける。
もちろん、実際に電話で会談し、対中戦略を確認し合うことが不可欠であることは言うまでもない。台湾は日本と基本的な価値観を共有する重要なパートナーだ。菅政権には、ぜひ日台の安全保障協力を実現していただきたい。
筆者:峯匡孝(産経新聞政治部次長)