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『広辞苑』の編者で知られる新村出(いずる)に「雪のサンタマリヤ」という美しい随筆がある。1603(慶長8)年の雪の聖母の記念日(8月5日)に死んだ、無名の日本人男性の墓碑から話を説き起こし、真夏に雪が降った夢を見た教皇と信徒夫婦が、積雪の場所に教会を造った麗しい縁起談を日本文化史に位置付けたものだ(『南蛮更紗』所収)。長崎の潜伏キリシタンが信仰の支えにした雪のサンタ・マリアの聖画と近世キリシタンの墓碑の話が『潜伏キリシタン図譜』(かまくら春秋社)の出版によって、美麗な多色刷り写真と重厚な解説でよみがえったのは驚きである。
この図譜はもともと高祖敏明氏らカトリック関係者や、五野井隆史氏ら教会史の専門家による壮大な営みであり、フランシスコ・ローマ教皇の序文も付されている。潜伏キリシタンの歴史的役割と文化的価値を日本の精神史や宗教文化史に多面的に位置づけた点で、カトリック史のみならず日本史研究にも貢献する本格的な出版物となった。やや高価なので、大学や公共の図書館でぜひ一般読者の閲覧に供していただきたい。
感心するのは、著名なキリシタン史料が文書を含めてかなりカラー化されたことだ。「聖フランシスコ・ザビエル像」「南蛮屛風(びょうぶ)」「天正遣欧使節肖像画」は誰でも一度は見たことがあるに違いない。また、「ポルトガル国印度副王信書」の息を呑(の)むほど美麗な意匠、教理書「どちりいな・きりしたん」の迫害から逃れたたくましさ。いずれも年輪を重ねた歴史の厚みを感じさせる文化遺産である。
私が訪れた長崎県平戸市生月町博物館島の館にある遺物を、手元で何度も見られるのはこの上ない喜びである。メダル・十字架・お札・水瓶・聖母被昇天の絵画は潜伏キリシタンには欠かせぬものだった。聖母子と二聖人(ロヨラとザビエル)が描かれる絵や、個人蔵ながら、髷(まげ)を結った和服姿の洗礼者ヨハネがヨルダン川畔を歩く姿を見て不思議な感慨を抱く人も多いだろう。板や銅や真鍮(しんちゅう)で作られた踏み絵の数々も今では恩讐(おんしゅう)を超えて、潜伏キリシタンの存在を後世の日本人に伝える重要文化財となっている。
徳川家康に仕えながら棄教を承諾せず新島・神津島に流された「ジュリアおたあ」の絵、蝦夷(えぞ)地(北海道)をはじめ、北方世界の情報を伝えたイエズス会のアンジェリス神父の地図などは、近世文化史の貴重な史料でもある。津軽家当主たちの木像や絵像、「松前屛風」などキリシタン史料でない美術品も収められている。他方、長崎・外海(そとめ)の潜伏キリシタンが信仰した雪のサンタ・マリアの絵は、和風の掛け軸に収められており、その古雅なたたずまいには感動する以外に言葉もない。そして、新村出の紹介した「聖マリヤの雪殿」や「ゆきのサンタ丸や」なる和名の奥ゆかしい響きを知る者にとって、この『図譜』で雪のサンタ・マリアの絵を、彼女の昇天した暑熱の8月に鑑賞できるのは、この上ない涼味というべきではないか。
筆者:山内昌之(神田外語大学客員教授)
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2021年8月22日付産経新聞【歴史の交差点】を転載しています
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