The head of a statue of Christopher Columbus was pulled off overnight in Boston

The head of a statue of Christopher Columbus was pulled off overnight amid protests against racial inequality in the aftermath of the death in Minneapolis police custody of George Floyd in Boston, Massachusetts, U.S., June 10, 2020. REUTERS/Brian Snyder

 

《本当に我々は、自分の住む国の思想習慣の実際ないし理想のほかには、真理および道理の標準をもっていないようである》(モンテーニュ『随想録』第1巻第31章)

 

 

誰が「彼」を発見したか

 

米国紙「ワシントン・ポスト」などを舞台に筆をふるった白人コラムニスト、アート・バックウォルドのコラム傑作選『だれがコロンブスを発見したか』(永井淳訳、文芸春秋、1980年)に収められた短い表題作を読み返した。

 

ネーティブ・アメリカンの誰がコロンブスを発見したのかを特定することが、米国の歴史学界が建国以来抱えている大きなテーマであり(真っ赤なウソ)、このコラムはまさにそれを扱ったものなのだ。何よりも皮肉をこめた逆転の発想が素晴らしい。日本人コラムニストで「誰がペリーを発見したか」というテーマで書いた人はいるのかしらん。

 

1492年の最初の接触をバックウォルドは次のように描く。「新大陸」に上陸したコロンブスは、ホワイト・ホーク族の酋長(しゅうちょう)と遭遇する。酋長はその肌の色からコロンブスを「白い父」、コロンブスは酋長を「インディアン」と呼ぶ。

 

「インディアン」と呼ばれ、「おれのことをなんていった?」と尋ねる酋長にコロンブスは答える。「インディアンだ。わたしはイサベラ女王に西インド諸島への新しい航路を開拓すると約束した。従って、きみはインディアンだ」

 

そしてコロンブスが「スペイン女王の名において、この島とその東西南北にあるすべての島々の領有を宣言する」と一方的にほざくと、酋長はコロンブスの顔をまじまじとみつめこう問い返す。「あんたは頭がどうかしてるんじゃないのか?」

 

やり取りは続く。「おれたちはスペイン人などになりたくない」という酋長を懐柔するようにコロンブスはこう語りかける。「インディアン、われわれはきみたちの友達だ。きみたちを助けてやりたい。(中略)きみたちが自衛によって自由になれるように銃や鎧(よろい)を与えるつもりだ」

 

酋長は応じる。「しかし、白い父よ、おれたちはもともと自由なのだ」

 

するとコロンブスは本性をちらりと現す。「いちいち逆らうな。われわれはなにがきみたちにとって最善であるか知っている」

 

 

余計なお世話だ!

 

以上はすべてバックウォルドの創作だが、米国の歴史は間違いなくこうして始まったといえるだろう。傲慢このうえない押し付けから始まり、懐柔、恫喝(どうかつ)、そして暴力へとつながってゆく。日本人としては、1853年の黒船来航以降の怒濤(どとう)の近現代史を思い出してしまう。

 

「いや、自分たちの歴史は、ピルグリム・ファーザーズが1620年に英国スチュアート朝の宗教的圧迫から逃れ、信仰の自由を求めてメイフラワー号で北米に移住し、プリマスに植民地を建設したところから始まる」と米国人は言うかもしれない。

 

だが、「フロンティア・スピリット」なる美名のもとでやらかした土地の強奪や有色人種の奴隷化など、しっかりとコロンブスのDNAを受け継いでいるのではないか。何と言おうと、ヨーロッパ系米国人はコロンブスの子孫なのだ。

 

 

歴史の評価は清濁併せて

 

5月25日に米国ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性(46)が白人警官に膝で首を押さえつけられて死亡した事件を機に、米国各地で人種差別と警察の暴行に抗議するデモが巻き起こり、いまなお収まる気配はない。

 

こうしたなかで、米国の人種差別の淵源(えんげん)はコロンブスの原住民への残虐行為にあると考える一部のデモ参加者が、コロンブス像の破壊を始めた。最初はバージニア州リッチモンド。像は倒されて近くの池に投げ込まれた。お次はミネソタ州セントポール。像はワイヤをかけられて台座から引きずり下ろされた。さらにマサチューセッツ州ボストンでは、何者かによって像の頭が破壊された。

 

この動きはベルギーにも飛び火し、アントワープ市は19世紀後半から20世紀初頭にかけて、コンゴなどの植民地化を進め、現地人を酷使する政策を実行した元国王レオポルド2世の像を撤去した。

 

このニュースを知り、何とバカげたことを繰り返しているのかと思った。「正義」に取り憑(つ)かれた人間ほど手に負えぬ存在はない。狂信的になり、ただでさえ狭い視野がいっそう狭くなって、傲慢にも神に代わって人間や歴史を裁こうとする。東京裁判で日本を断罪した連中もそうだ。

 

「正義」に取り憑かれたコロンブス像の破壊者たちは、自分たちの父祖がどういう思いをこめて像を建立したのか、想像することができない。確かにコロンブスは「新大陸」でろくでもないことをやった。それは事実だ。だが命がけで大西洋を超え、インドを目指した勇気はたたえるべきだ。人間と人間の織り成す歴史は、清濁併せて受け止め評価すべきものだ。濁の部分のみをあげつらってこれを抹殺することはけっして許されることではない。

 

濁の部分を否定し、その遺跡を破壊する行為は、米国の歴史家が、日本の保守系歴史家の主張を非難・冷笑するときに使用する「歴史修正主義」そのものだ。

 

モンテーニュは「新大陸」の原住民を野蛮と蔑(さげす)む人々に向けて第1巻第31章「カンニバルについて」にこう記している。

 

《私が聞いたところだと、かの民族の間には少しも野蛮なところはないと思う。ただみんなが自分の習慣にないことを野蛮とよぶだけの話なのだ。本当に我々は、自分の住む国の思想習慣の実際ないし理想のほかには、真理および道理の標準をもっていないようである。あそこにもやはり完全な宗教、完全な政体、完全なもろもろの制度習慣がある》

 

モンテーニュはここで土地が変われば価値観も変わることを書いているわけだが、同様に時代が変われば価値観も変わる。そのことを忘れ、われわれは現代の価値観だけで過去を裁こうとする。傲慢以外のなにものでもない。ヨーロッパ系米国人は、大西洋を渡ったコロンブスの勇気とともに、彼と自分たちの父祖が犯した残虐非道を忘れぬためにも、コロンブスの像は大切に保存すべきだろう。できればコロンブス像の足元に、次のような文字を刻んだ銘板を取り付けることを提案する。

 

「過ちは繰り返しませぬから」

 

※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。

 

筆者:桑原聡(産経新聞文化部)

 

 

2020年6月19日付産経新聞【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】第78回を転載しています

 

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