日本刀の伝説的な起源と製鉄文化を調べるため、山陰地方の島根県を訪ねた。
私の旅は、日本で最も古い神社のひとつ、出雲大社(いづもおおやしろ)から始まった。出雲地方には日本の神話が刻み込まれ、「神の国」と呼ばれる。 日本神話によると、かつて日本は出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)によって支配されていた。大国主神は太陽の女神、天照大神(あまてらすおおかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に土地を与えたと古事記と日本書紀に記録されている。その見返りに、大国主神は天照大神から出雲大社を与えられた。
出雲地方には、もともと大和氏族のものではなかったことを示すいくつかの様相がある。出雲大社では参拝の際、通常の二拝二拍手一拝の代わりに、二拝四拍手一拝する。山陰地域では、神社の入り口の上の「しめ縄」は、日本の他の地域とは左右反対方向に張られている。神社の門を守る狛犬・獅子も、日本の他の地域と異なる。
出雲大社
出雲大社の祭神である大国主神は、陰暦10月に合わせて毎年全国から八百万の神々を集め神議(かみはかり)を行うため、日本で10月は「神無月」といわれる。しかし、出雲地方ではその月は「神在月」として知られている。私の訪問時は、ちょうど神々を歓迎する「神迎祭」だった。
出雲大社の西方約1キロの稲佐の浜には神々を迎える場所が準備される。式典は、日没した直後に火を灯して行われ、神々が海から訪れる道を導く。神々の到着の瞬間に近づくにつれて徐々に緊張感が高まり、太鼓と龍笛で神道音楽が演奏される。到着すると、神道の霊魂たちに囲まれて浜から出雲大社に護衛される。出雲での滞在中には大社で特別な宿舎が与えられる。
稲佐の浜での神迎祭
翌日、温泉津(ゆのつ)町の龍御前神社(たつのごぜんじんじゃ)に岩見神楽を見に行った。温泉津町は島根県中部の海岸沿いの小さな港町。多くの温泉があり、伝統的な畳の美しい宿泊施設、旅館で利用できる。龍御前神社のすぐ後ろの崖から出ている龍の顔をみると、神社の名前の由来に気づくだろう。
龍御前神社の裏側の崖に龍の顔が見える
神楽は、もともと神々を楽しませるために行われていた精巧な衣装と面を用いる伝統的な神道舞踊だ。神楽は 文字通り「神」々を「楽」しませる2つの文字で構成され、演目の多くは自然災害を引き起こす邪悪な存在と神々の戦いを描く、古事記や日本書紀の物語に基づいている。神楽の起源は定かではないが、天照大神を天岩戸から出すための踊りから来たといわれている。
この機会に、私は「オロチ」と呼ばれる演目の幻想的な公演に立ち会った。これは、神スサノオが八頭八尾の龍蛇ヤマタノオロチと戦い、その尾のひとつから神聖な刀を発見した物語だ。この刀は天皇から天皇へと受け継がれ、後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)という名前がつけられ三種の神器のひとつになった。
ヤマタノオロチの尾から刀が発見されたという話も、鋼鉄や刀の秘密を解くための隠喩と考えられている。石見神楽の感動的なパフォーマンスは、私を旅の次の段階、山陰地方の古い製鉄所へと導いた。
石見神楽の「オロチ」
私の旅の第2部では、雲南市周辺の古い製鋼村、古いたたら遺跡、そして製鉄業の守護神を祀る神社を訪問する。
ポール・マーティンは英国出身の日本刀専門家で、元大英博物館の学芸員、現在は日本刀文化振興協会 (NBSK)の評議員。ジャポニスム振興会( 本願寺 ) に任命された 日本刀文化マイスター。
この記事の英文記事は2018年1月22日に掲載されました