東京電力福島第1原発事故を巡る株主代表訴訟の判決後、記者会見をする原告ら
=7月13日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ(松井英幸撮影)
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またもや司法の迷走を思わせる判決だ。
東京電力福島第1原子力発電所事故をめぐり、東電の株主が同社の旧経営陣に損害賠償を求めた株主代表訴訟で、東京地裁は勝俣恒久元会長ら4人に計約13兆3千億円の支払いを命じた。
6月には、福島第1原発事故で避難した住民らが起こした集団訴訟で、最高裁によって国の賠償責任を否定する判決が出されたばかりだ。
その判決理由は、実際の地震は想定を大きく上回るもので、東電に津波対策をとらせていても津波による浸水は防げなかったとするものだった。旧経営陣が原発建屋などの「水密化」を怠ったことで事故が防げなかった、とする今回の東京地裁の判決は、最高裁の判決の大意と齟齬(そご)を来さないか。
最高裁は津波の予見可能性には深く触れていないが、被害の回避は不可能だったとしている。
株主代表訴訟での争点の一つは平成14年に政府の地震調査研究推進本部が公表した「長期評価」に対する旧経営陣の対応だった。
原告の株主らは、旧経営陣は巨大津波が第1原発を襲う可能性を事前に認識していたにもかかわらず、安全対策を怠ったことで東電に甚大な被害を与えたと主張していた。
しかし、最高裁の判断に照らせば、旧経営陣が対策を講じていても事故は起きていたはずなので、株主側の主張とは正反対だ。それを認めた東京地裁の判決は最高裁の審理を無視したものとみられても仕方あるまい。
原発訴訟に関しては司法判断のばらつきが目立つ。避難者の集団訴訟がその典型で、地裁と高裁での判決に混乱があった。
6月の最高裁の判決は、そうした状態の収束に寄与するはずのものであっただけに残念だ。
また、旧経営陣4人中の3人は福島事故に関する業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが、令和元年には東京地裁で無罪判決を言い渡されている。同地裁が長期評価の信頼性などを認めなかったための無罪だった。
刑事裁判と民事裁判の差があるにしても、同一地裁で津波被害の予見可能性について3年を経ずに逆の判断が示される事態は、迷走以外の何物でもあるまい。
しかも個人の支払い能力を超越した天文学的な賠償額である。法廷の理性が疑われる。
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2022年7月14日付産経新聞【主張】を転載しています