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「銀河鉄道999(スリーナイン)」など宇宙を舞台にした人気作を相次ぎ手掛け、SF漫画ブームの立役者となった漫画家の松本零士(まつもと・れいじ、本名・晟=あきら)さんが2月13日、急性心不全のため死去した。85歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行った。喪主は妻で漫画家、牧美也子(まき・みやこ)さん。後日お別れの会を開く。
昭和13年、福岡県出身。高校時代に漫画家デビューし、卒業後上京。46年、貧しい下宿を舞台にした青春群像劇「男おいどん」で注目される。49年放送開始のテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」に参加し、監督などを務めた。52年に映画化された同作は一大ブームを巻き起こし、当時の若者や後進のアニメ関係者ら多くの人に影響を与えた。
同年、主人公の鉄郎少年と謎の美女メーテルが銀河鉄道に乗り宇宙を旅する「銀河鉄道999」の連載を開始。「宇宙海賊キャプテンハーロック」と合わせ、SF漫画家の第一人者としての地位を確立した。
ほかの代表作に「クイーンエメラルダス」など。産経新聞では55~58年、「新竹取物語 1000年女王」を連載。精密なメカニック描写や幻想的な作風で多くの人を魅了した。
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【評伝】初対面で熱弁3時間、底なしの好奇心
2月13日に85歳で亡くなった漫画家の松本零士さんには底なしの好奇心と活力に満ちあふれた人という印象を抱いていたので、今回の訃報はなかなか信じられなかった。
初めてお会いしたのは平成21年の始め。松本さんが昭和55~58年に産経新聞で連載した漫画「新竹取物語 1000年女王」のコミックス復刊の件で連絡を取ると「じゃあ家まで来て」と快く応じてくれた。
東京都練馬区の自宅兼事務所の応接室には、原稿や単行本、グッズ見本が積み上げられ、松本さんはトレードマークのドクロの帽子をかぶって座っていた。
「大宇宙」「ロマン」「男」といったキーワードが特徴の「宇宙海賊キャプテンハーロック」などの作品で、私たち多くのファンを熱中させた作者が、柔和で小柄な人物なのは意外だった。しかし、あいさつもそこそこに「『1000年女王』の舞台は1999年で当時はすごく未来に感じた。未来都市・東京の姿を強い思い入れで描いた。ほぼ似たような世界になったね」などと3時間も熱弁を振るったのが今でも記憶に残る。「銀河鉄道999」の熱血の主人公、星野鉄郎とも重なり、壮大なスケールの作品を生み出し続けた活力の片鱗を見た気がした。
その後も訪問を重ねたが、話題は宇宙へのあこがれや自然科学、戦史、自作の裏話など、止めどなく転がっていく。部屋には不思議なものがたくさんあった。尋ねると、「それは(独の戦闘機)メッサーシュミットの本物のプロペラ」「これは零戦の照準器」と驚くような答えが返ってきた。松本さんの頭の中がこぼれ出たような部屋での打ち合わせは脱線ばかりで、毎回長時間に及んだ。
「サインならその場で500枚は書けるよ」とサービス精神旺盛だったが、実務は苦手。面会の約束は始終ほかの人と重なり、妻で漫画家の牧美也子さんに「コラ」とおこられていた。契約の話などで松本さんの興味を保つのは難しく、無邪気な松本さんを守ろうと、旧知の編集者らが支えていた。「1000年女王」を出版できたのは、ある編集者が「先生が出版を喜んでいる」といって、損得抜きの支援をしてくれたことも大きかった。
最後にお会いしたのは平成31年4月。愛読書を紹介するコーナーの取材で久々に連絡を取ると、「家に来て」と快諾。生命学や進化論の解説書「生命の科学」(H・G・ウェルズほか)について、2時間以上その魅力を語り続けた。思えば時間に追われ、話の腰を折ってばかりだった。もう二度と話をうかがえないのが、残念でならない。
筆者:岡本耕治(産経新聞)