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空前にして、恐らくは絶後の記録となるだろう。不朽の偉業をたたえたい。
将棋の藤井聡太竜王・名人が、王座戦五番勝負で永瀬拓矢王座からタイトルを奪取し、史上初の全8冠独占を果たした。
現日本将棋連盟会長の羽生善治九段が、平成8年2月に「七冠」を達成してから四半世紀あまりがたつ。指し手の可能性を網羅的に追求する人工知能(AI)は、序盤や中盤に飛躍的な進歩をもたらし、定跡も戦術も様変わりした。
2002(平成14)年生まれの藤井八冠は、いわゆる「Z世代」だ。幼少期からパソコンなどの利器を使いこなす「デジタルネーティブ」とも呼ばれる。AIを研究のパートナーとし、存分に才能を伸ばした現代の知性を代表する若者である。
羽生九段は藤井八冠への祝辞で、継続した努力や卓越したセンスなどの要素に加え、「時の運」もかみ合ったと指摘する。「世代」という自分では選べぬ環境を味方につけたことも、立派な才能というべきだろう。
だが、AIによる研究は多くの棋士も採用しており、条件は平等だ。「藤井一強」の理由にはならない。幼い頃から詰め将棋で鍛えた終盤の力、旺盛な探究心などが根本にあったからこそ、達成できた偉業であることを忘れてはなるまい。
「八冠」が実現したいま、将棋界は新たな価値観の提示を迫られている。今年、棋士編入試験に合格した小山怜央四段は、棋士の養成機関である奨励会を経ずにプロ入りした初めての棋士だ。麻雀のプロ資格を持つ鈴木大介九段は、棋士と雀士の「二刀流」に挑んでいる。
個性派棋士の活躍は、将棋界の魅力をさらに高めるはずだ。AIがどれだけ強くても、盤上の物語を生むのは生身の棋士と棋士である。藤井八冠には自身の持つ29連勝の更新など、新たな記録に挑み続けてほしいが、誰が「一強」の時代を穿(うが)つかが最大の関心事であることは、言うまでもない。
進行中の竜王戦七番勝負では、藤井八冠に同学年の伊藤匠七段が挑んでいる。21歳の2人による、史上最も若いタイトル戦だ。今後の将棋界は藤井八冠の世代を軸に、やがて下の世代も加わり激しい争いを繰り広げよう。わが国の未来も、そこから見えてくるに違いない。
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2023年10月13日付産経新聞【主張】を転載しています