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過去数年間にわたり、日本の株式市場と経済の実態には対照的なものがあった。輸出が主力の大企業にとって、急速な円安は増益要因になった。その一方で、小売業など内需型の企業は物価の急激な高騰(インフレ)が逆風となり、賃金を上げにくい状況だった。その結果として、大多数の国民の収入は増えないがために支出も伸びない状況が続いた。
日本銀行はこうした構造が変わらない限り、金融政策での“利上げ”を拒んできた。しかし、やっと“利上げ”に動く明らかな兆候が見えてきたのだ。インフレ率に対し、賃上げ率がそれを上回るようになった。 こうした“逆転現象”こそ、長らく日本の労働者が待ち望んでいた所得増となり、消費の活性化につながる経済の“転換点”になる。
インフレを測る経済指標
その裏付けとは何か。まず第一に、インフレを測る経済指標の一部は既に大幅に低下している。2022年12月の日本の生産者物価指数は前年比10.6%であったが、現在は0.6%である。
消費者物価はそれに遅行するものの、下落傾向にある。 円安だけでは何も変わらない。インフレの勢いを維持するには、円が同程度か、それ以上下落し続ける必要がある。そうでなければ、物価は着実に横ばいになるはずだ。
金融市場も同意している。今後10年間の日本のインフレ予想は、物価連動債と通常債の利回りの差が示唆する通り、1.3%だ。 これは、日銀が目標としている「基調的な物価上昇率2%」には大きく届かない。実際、期待値がこれほど低いため、日銀が政府に対しインフレ目標の引き下げや緩和を求めなければならない可能性は十分ある。
労働条件
第二に、日本の構造的な労働力不足はますます明白になっている。 最新の業況調査である3月の日銀短観では、雇用人員判断指数(DI)は全規模全産業でマイナス36となり、バブル末期の1991年以来最低の労働力不足超過となった。雇用は30年以上にわたってそれほど問題ではなかった。
企業経営者と労働組合との賃金交渉「春闘」は今年、賃上げ率5.3%で決着した。昨年より1.5ポイント高い数値になる。これは、大企業で働く従業員の約25%に相当する。
では、正規雇用以外の労働市場はどうか?その手がかりは、時間給で働くパートタイム労働者のデータベースを持つ、リクルート社から得られるかもしれない。同社の調査では、 2023年2月の時点ではパートタイム労働者の賃金上昇率は前年比2.1%だったが、24年2月では4.4%に上昇した。
新しい経済構造
こうした流れが今後の方向性を予測するものであれば、多くの見慣れた現象が真逆に進むことだろう。国内経済の回復には金利上昇(利上げ)が必要となるはずで、そうなると円高が進み、輸出業者や大手国際企業が享受する為替の利益減少につながる可能性がある。円高が進めば、訪日観光客も減るだろう。
一方で、すでに増加している外国人労働者はさらに増えるだろう。
この新しい構造は一時的なものではなく、半永久的なものになる。 全体像としては、資本から労働力へと大きくシフトすることになるが、これはここ数十年の間で経験したことのない状況になる。
年配の経営者なら、1991年の労働市場がどのようなものだったのかを覚えているだろう。当時は「売り手市場」で企業は新卒採用に躍起になっていた。採用シーズンが正式に始まる前に新卒採用は活発で、いわゆる「青田買い」と呼ばれる習慣が横行していた。企業は採用内定者を温泉やハワイ旅行などへと過剰な接待で囲うこともあった。同様のことが現在もまさに起きており、ある自動車関連会社が新人に100万円(6,600 USドル)の特別報酬を支払うという例もある。
また、日本企業はすでに、省力化ソフトやIT機器の導入も進めている。
これまで労働集約型だった産業がコストを抑制しようとするにつれ、さらに多くの変化が起こることは間違いないだろう。
異なる労働市場
だが、労働市場の逼迫は、経験や技能が足りない、またはまったくない人が労働力として入るために生産性の低下を伴う。労働者は十分な訓練を受けておらず、昇進も過剰であり、その気になればいつでも辞められる新たな「売り手市場」なのだ。
日本が好景気の1980年代、戦後の貧しい時代を知る年配の世代は、「新人類」と称された、怠け者で利己的で無知とされる新しい世代の出現に衝撃を受けた。おそらく、長年続いたデフレに慣れきった今の世代の人々が、のんきに転職活動をする新世代の若者に疑問の目を向けているのと同様の現象が、数十年後に起こりつつあるのだろう。
今は、従業員になるには良い時代だが、経営者になるには非常にストレスの多い時代といえるだろう。
筆者:ピーター・タスカ(英国出身の投資コンサルタント、アーカス・リサーチ代表)