
岩倉具視公から拝領した狩衣を着て、「阿古屋松」を約580年ぶりに復曲上演=平成24年4月27日、東京都渋谷区の国立能楽堂(林義勝撮影)
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現存する世界最古の演劇、といわれる能。観世流は能の大成者である観阿弥と世阿弥父子の流れをくみ、室町時代から700年近く、続いてきた。清和さんは観阿弥、世阿弥の子孫であり、数えて二十六代目の家元である観世宗家。能楽最大流派である観世流を率いる。産経新聞のインタビューで、能装束に求められる細心注意と、明治維新が能楽に与えた影響を語った。
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《近年の気候変動は、能楽界にも影響を及ぼしている》
かつては能の会が少なくなるお盆の前後、装束や面(おもて)を蔵から出して風を通す「虫干し」をしました。普段、使っていない道具の点検や、傷んでいる装束の修繕などをする、大切な確認作業です。
しかし近年、日本の夏が酷暑で多湿になり、今はこの時期に虫干しをすると、かえって大切な装束などを傷めてしまいます。また能楽堂に冷暖房が完備され、夏の演能機会も増えました。

現在の観世文庫の蔵は、文化庁ともご相談の上、神社仏閣の宝物殿建設を手掛けている業者に依頼して壁を珪藻(けいそう)土にし、年間を通じて空調管理をし、時期を分散して確認や修繕作業をしています。
演能で使用した装束は、衣桁(いこう)(着物を掛ける道具)や、蔵の中に綱を張って1日掛けておきます。洗濯はしません。古い装束は、そのものの重みで掛けると傷みますから、のべておきます。傷んでいるからといって、上から糸でかがると、布がつれて他の場所が破ける危険があるので、修繕も難しい。それでも私たちは、貴重な面や装束を〝美術品〟のままにはできません。〝実用品〟として舞台で使うため、管理には細心の注意を払っています。
《観世文庫では、職人の技が凝縮したような豪華絢爛(けんらん)な能装束が200領以上、大切に保管されている》
耐久性も考え、貴重な装束については「写し」の制作にも取り組んでいます。700年守られてきたものを、700年後につなぐことは、観世の家に生まれた者の使命と思っています。
能装束を新調するときには、京都・西陣の佐々木能衣装にお願いしています。現代の技術技法で忠実に写しても、出来上がり直後はどうしても金糸が目立って〝金ぴか〟に見え、またフワフワしています。昔の装束の方が軽くて薄い。それは技術の問題というより、生糸自体の質が変わったからだと思います。ですから私たちは、お漬物みたいに装束に重しを乗せて「押し」をするのです。
数年後、「そろそろでしょうか」などと言いながら、「押し」をしておいた装束を出して、〝熟成〟を解きます。新しい装束が出来上がったからといって「では明日、使おう」とはなりません。完成から最低でも2、3年、長くて5年はかかります。ですから目の前の公演だけではなく、5年後の能公演の番組(構成)も考え、そこに装束が間に合うか、などということも常に気にかけています。
《観世宗家には、能の苦境を支えた先人たちから拝領した装束も複数、伝わっている》
能が、歴史的にもっとも危機に陥ったのは、明治維新です。江戸時代は式楽(幕府の公式芸能)として保護されていたのが、明治の新政府は文化芸術においても西欧化を推し進めたため、廃業する能楽師が続出し、途絶えた流派もありました。
そんな能の衰退に危機感を抱き、ご支援くださったのが明治維新の立役者だった岩倉具視や、日本に郵便制度を作った前島密(ひそか)です。欧米を視察した岩倉は、各国が賓客の接待や社交に劇場を活用し、自国の伝統文化を大切にしていることを知ります。そして能を海外の賓客をもてなす芸能とするよう、華族に働きかけ、明治14年、能楽社を結成し、東京・芝に能楽堂(現在は東京・靖国神社に奉納・移転)を設立したのです。
わが家には岩倉公から拝領した狩衣(かりぎぬ)があります。私は平成24年4月、約580年ぶりに復曲上演した「阿古屋松(あこやのまつ)」を勤めた際、感謝も込め袖を通しました。
聞き手:飯塚友子(産経新聞)
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【プロフィル】観世清和
かんぜ・きよかず 昭和34年、東京都生まれ。東京芸大卒。父は二十五世宗家・観世左近元正。平成2年、二十六世家元を継承。国内外で公演を行い、「阿古屋松(あこやのまつ)」など埋もれた作品を復曲、新作能にも意欲的に取り組む。25年に芸術選奨文部科学大臣賞、27年に紫綬褒章。日本芸術院会員、文化功労者。著作・監修に「観世宗家能暦」「観世清和と能を観よう」など。
2025年3月14日付産経新聞【話の肖像画 能楽二十六世観世宗家・観世清和】<13>を転載しています
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