日本はこれからどんな外国人政策をとるべきなのか―。国際協力NGO元会長の柳瀬房子氏が、移民をめぐる議論と、外国人の社会統合と支援の在り方を考察する。全7回。
Zubair 4

Zubair's Afghanistan(©JAPAN Forward by Agnes Tandler)

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世界の多くの人々は日本という国を知らない

なぜ多くの難民は日本に来ないのか。その理由の一つは、そうした難民が多く発生している国々では、日本はよく(あるいは、まったく)知られていないからだ。

日本人は、世界の多くの人々が日本を知っていると思いがちだ。しかし、海外に一歩出ただけでも、いかに知られていないかを実感することができる。

21世紀に入り、インターネットの発達によって日本を知る人が増えているのは事実であり、遠く離れた国々からの観光客も増えている。それでも、多くの国の人々にとって、日本は馴染のある国ではない。

皆さんのお国では、海外ニュースで日本が取り上げられていることが有るだろうか?「海外で日本のアニメや日本文化が大人気」といった報道も見聞きするが、全体から見たら、ごく少数だろう。日本をよく知らない人々が、難民となり逃れる国として日本を選ぶだろうか。

難民となって自国から逃れるには、①自分や家族がその国の言葉を話せる ②家族や友人・知人がすでに住んでいる ③以前に訪れたことがあって印象が良かった ④一緒に逃れる人々がたくさんいる ⑤ビザを簡単に入手できるなど……。人それぞれに、その国を選ぶ理由があるはずだが、日本にはその理由が当てはまるだろうか。

皆さんがインターネットで調べれば、現在、どのような国・地域で多くの難民・避難民が発生しているかが分かるだろう。あなたは、その国の人々をどれだけ知っているだろうか。その国の人々にとって、日本はどれだけ馴染みのある国だろうか。難民になる人々は、生命や財産を危険にさらされ、避難する場所を文字どおり命がけで選択する。そのとき、日本は避難しやすい国だろうか、新たな生活を築きやすい国だろうか。

移民・難民受け入れの歴史的な蓄積が少ない日本

実際のところ、多くの難民にとって、日本は避難先の選択肢に入っていない。これには、歴史的な要因もある。

例えば、歴史的に日本へ移動する人々が多くなければ、移動の手段やルートも確立されない。もちろん、1917年のロシア革命後に国際連盟が無国籍の難民に発行した1922年のナンセン旅券を受理し、日本を経由して米国に逃れた亡命者(難民)もいたし、外交官の杉原千畝らによって「命のビザ」の発給を受けたユダヤ人難民がヨーロッパから日本経由でアメリカに渡ったという例もある。しかし、これらはあくまで例外的な事例であり、移動のルートが出来上がっていたわけではない。

杉原千畝 (Wikimedia Commons)

歴史に「もしも(if)」はないが、もしもこの時代の日本が人道的な見地に立ち、経由する難民を保護していたら、現在とは別の日本が生まれていたかもしれない。

他方、欧米各国は、現在移民・難民が発生している国々の宗主国だったので、歴史的に旧植民地から移民を受け入れてきた。欧米各国は移民により労働力を確保し、国を富ませる政策を長年にわたり採用してきた。そこでは、すでに人々の流れができており、移民の側も移動しやすく、受け入れ国側も移民のうちの難民を人道移民という概念で捉えやすかったのだろう。

これに対し、日本は1970年代まで国内人口だけで労働力を賄うことができたため、積極的に移民を受け入れる必要はなかった。

こうした歴史的経緯から、日本という国が世界で広く知られることにならず、また日本人の側も外国人を受け入れ、共生することに慣れていなかったという面があると思う。

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海の向こう、遠い日本

さらに、地理的な条件も大きな要因になり得る。日本は、難民が発生している国々から距離的に離れており、周りが海で囲まれた島国なので、船や飛行機を利用しなければ辿り着くことができない。歩いて国境を越えられないのだ。これは、隣国と陸続きでつながっている国々との大きな違いである。

皆さん、難民が発生している国や地域をインターネットで調べたら、自分がそこへ辿り着く方法を考えてみてほしい。どのような交通手段を使うのか、どれだけのお金がかかるのか、さらに難民の人々はその手段を利用することができるのか。難民の目線に立って具体的に考えれば考えるほど、日本まで避難してくるのがどれほど大変なことかが、よく分かるはずだ。

ミャンマー中部で強い地震が発生し、道路に集まった多くの人たち=3月28日、マンダレー(ロイター=共同)

ただし、こうした話をすると、見当違いな解釈をする人も出てくる。「そうだ、日本へはやって来にくいのだから、わざわざ来ることはないし、受け入れることもない。だから、日本はカネさえ出していれば、また人を派遣さえしていれば、難民を受け入れる必要はないのだ」と。

いや、私はそうは思わない。たしかに過去の歴史や地理的条件は変えらないが、難民一人ひとりにとって簡単に日本へは避難しにくい、逃れてくることができない理由は他にもたくさんあるからだ。そして、それらは十分に改善できることであり、むしろ日本にとって改善すべきことなのだから。

筆者:柳瀬房子(認定NPO法人、難民を助ける会前名誉会長)

[日本と移民]シリーズ(全7回)

■柳瀬房子(やなせ・ふさこ) 認定NPO法人、難民を助ける会前名誉会長。青山学院大学大学院総合文化政策学研究科修士課程修了。1979年にインドシナ難民を助ける会(現難民を助ける会)の設立準備に関わり、翌年、30歳で事務局長に就任。以来、半世紀近く日本の難民支援の草分けとして活動。2023年に退任後も、法務省難民審査参与員として尽力する。2024年12月に出版した『難民に冷たい国?ニッポン』(慶應義塾大学出版会)のほか、日本絵本賞読者賞を受賞した『サニーのおねがい 地雷ではなく花をください』(絵:葉祥明、自由国民社)など著書多数。

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