北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、滋さんが87歳で亡くなって5年となった。妻の早紀江さんが産経新聞の単独取材に応じ、長年二人三脚で救出運動に取り組んだ夫、いまだ再会のかなわない娘への思いを語った。
Sakie Yokota Sankei Interview June 2025

産経新聞のインタビューに応じる横田早紀江さん=川崎市(酒巻俊介撮影)

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北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(60)=拉致当時(13)=の父、滋さんが87歳で亡くなって5日で5年となった。妻の早紀江さん(89)が産経新聞の単独取材に応じ、長年二人三脚で救出運動に取り組んだ夫、いまだ再会のかなわない娘への思いを語った。

《滋さんが旅立ってからの数カ月は「単身赴任で天国に行っているような感覚」だった。月日の経過は、〝不在〟をより実感させる》

いつも隣にいた人ですからね。今も自宅で食事をしているときに「お父さん」って口に出しそうになる。そして、「あぁもういないんだな」と。必ず天国には行っているので、そこは安心ですが、心ではつながっていても、現実的なむなしさや寂しさは色々な場面で感じます。

《取材には滋さんが生前に愛用したカメラを持参してもらった。めぐみさんの成長をつぶさに収めようと、滋さんは無数のシャッターを切った》

横田滋さんが生前に愛用したカメラ

写真が好きで、カメラは数台持っていました。近所の散歩とか簡単なとき用と、旅行先用で使い分けていましたね。男親にとって娘は特別です。私がめぐみを産むとき、分べん室でも撮影しようとして看護師さんに「あなたは新聞記者ですか。出ていってください」と怒られていました。

名前は夫婦で考えました。私の名前が、人に伝えるには少し面倒な漢字が並ぶので、平仮名にしようと思っていて。ひろみさんとか、まゆみさんとか考える中で、めぐみに。やっぱり意味がすてきですよね、めぐみって。

「たまには俺が買ってくる」父の愛情

私は洋裁が得意で、めぐみの服もよく自作してました。けれど、お父さんとしては、めぐみに着てほしい、市販のかわいいものがあったようです。「たまには俺が買ってくる」とめぐみを連れて買い物に行くことがありました。「めぐみちゃんはどの色がいいの?」なんて、うれしそうに聞いていましたね。

《やがて双子の男の子にも恵まれ、5人家族となった横田家。日本銀行に勤務していた滋さんの転勤で広島から新潟に移り住み、めぐみさんは中学校でバドミントン部に入った。早紀江さんは、部の運動着にまつわる、母娘のやりとりを覚えている》

ゼッケンを留める金具を縫いつける必要があって。裁縫は将来きっと役に立つからと、自分でやるようにいいました。

横田めぐみさんが中学時代、バドミントン部の練習などで着ていた運動着

めぐみは「他のみんなは、お母さんがしてくれるのに」って嫌がっていました。「変だ変だ」といいながらも、なんとかやり遂げて、きちんとはまるようになった。うまいことできたじゃないのと褒めたら、喜んでいたことを思い出します。

「部活の練習、のぞいておけばよかった」母の悔恨

めぐみが拉致された昭和52年11月15日、私は(双子の息子の)拓也と哲也を近所の歯医者さんに連れて行っていました。帰り道、めぐみが部活の練習をしているからのぞいてみようかというと、息子たちは「勝手に見に行ったら、めぐみちゃん、怒るよ」って。それでやめたんです。あのとき、行っておけばよかったかもしれません。

旅先での横田家。「たまには」と早紀江さんが撮影したので滋さんが写っている。ごく普通の家族の幸せは北朝鮮によって引き裂かれた=昭和47年ごろ

《めぐみさんはこの日の夕方、部活を終えて帰宅途中に拉致された。自宅まであと1、2分の距離だったとみられる。早紀江さんが41歳だった、48年前に起きた事件だ》

《平成9年に被害者家族会が立ち上がり、滋さんは初代の代表に就任。署名活動や講演のため夫妻で全国各地を飛び回り、政府にも幾度となく被害者奪還を訴えてきた。家族会の発足以来、首相は現在の石破茂氏で13人目となる》

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「僕らがやらなければ」息子の決意

救出運動の主体は、子供世代に移りました。本当はこんな状況にはしたくなかった。でも、息子たちからは「僕らがやらなかったら、めぐみちゃんが帰ってこれないかもしれないじゃないか」と言われました。その通りだと思い直し、今は託しています。

拉致被害者の有本恵子さんのお父さまである明弘さんが今年2月に亡くなり、未帰国の政府認定被害者の家族のうち、親の世代は私だけになりました。明弘さんとは昨年11月、東京都内で開かれた関連行事でお会いしたのが、最後です。

手を握り、「(自宅のある)神戸で祈っていてね。もうこちらまで出てこなくてもいいからね」と伝えると、「まぁ、うん」と笑っていた。子供たちの奪還だけを願い、命がけで行動された方です。あの手のぬくもりは、忘れられません。

国民大集会で被害者奪還を訴える有本明弘さん(右)と横田滋さん。互いに最愛の家族との再会を願って活動を続けたが、かなわなかった=平成14年9月

私ももう89歳。生きている間にめぐみに会えるかどうか、ここまで来ると分かりません。死に向き合い、それがいつ来てもいいように、毎日をしっかり過ごすことが大事だと思っています。

ただやはり、国として、このままではいけない。奪われたのなら取り戻さねばなりません。政府は必ず結果を出してほしい。そして国民の皆さまにはどうか、変わらぬお力添えを頂ければと思います。

私も命ある限り、声を上げ続けます。

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