数々の名馬を育てた元調教師の角居勝彦さん。引退後は石川・能登半島で、引退馬が安心して余生を送れる牧場を開いた。牧場オープンの5カ月後に見舞われた能登半島地震。馬と人は復興に向け歩みをともにしている。
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珠洲ホースパークで引退した競走馬の世話をする角居勝彦さん=石川県珠洲市(鴨川一也撮影)

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ウオッカ、シーザリオ、ヴィクトワールピサ…。競馬ファンでなくとも耳にしたことがある一流の競走馬だ。そんな名馬を育てた男が石川・能登半島で引退馬の牧場を開いた。

第74回日本ダービーで1着でゴールしたウオッカと鞍上でガッツポーズする四位洋文騎手=2007年、東京競馬場
日本ダービーを制し、当時の安倍晋三首相から表彰される角居勝彦さん(手前左)=2007年、東京競馬場

日本中央競馬会(JRA)の調教師だった角居勝彦さん(61)。「牝馬のスミイ」とも呼ばれ、平成19年の日本ダービーをウオッカで勝利した。牝馬での制覇は64年ぶりの快挙だった。

華やかなキャリアを歩んだ一方、ともに戦い引退した馬の行く末に心を痛めていた。毎年約8000頭の競走馬が世に出るが、けがや成績の低迷で「相当な頭数」(角居さん)が「処分」されるという。

ドバイワールドカップで優勝したヴィクトワールピサと角居勝彦さん(左から2人目)=2011年、UAE・ドバイ
ドバイワールドカップをヴィクトワールピサで日本馬として初制覇。優勝トロフィーを手にして笑顔いっぱいの角居勝彦調教師(右)、ミルコ・デムーロ騎手(同3人目)=2011年、UAE・ドバイ

競馬で身を立ててきたからこそ、何とかしなくては-。56歳で競馬界を離れた。令和5年に祖父母の出身地の能登で、引退馬が安心して余生を送れる牧場「珠洲ホースパーク」を開いた。

珠洲市に遊休地を借り、地元の人たちと牧場を立ち上げた。馬は穏やかな余生を送り、人と触れ合う。

角居さんが立ち上げた「珠洲ホースパーク」。放牧場では馬たちがのんびりと草を食んでいる
牧場近くの海沿いを歩く馬たち。トレーニングは行っていないが、健康的に暮らすために定期的に運動している

共生の形を探り始めた直後、最大震度7の能登半島地震に見舞われた。牧場オープンの5カ月後だった。馬やスタッフは無事だったが、建物は崩れ電気や水のインフラも断たれた。スタッフは車中泊をしながら、馬を守った。

敷地にはひび割れが残るが、地震から8カ月後に予約制での見学を再開。いま、7頭の馬が余生を送っている。

震災後、牧場近くに仮設住宅が建った。閉じ籠もりがちな住民が牧場に来て、馬と触れ合う。「優しい目に癒やされた」などと喜んでくれたという。

「無理やり誰かと交流しなくても、ただ馬を見に来ればいい。それが仮設から出るきっかけになれば」と角居さんは語る。

もともと、馬をきっかけに過疎や高齢化など地域の課題を解決できないかと模索していた。そこに復興という新たな難題も加わった。

牧場には引退した競走馬6頭とポニー1頭が暮らす
ゴロンと寝転がるかわいい姿も

調教師時代はレースの期日をめがけて仕上げていたが、今、はっきりとしたゴールは見えない。「4コーナーを回ったら、新たな1コーナーが現れた感じ」とレースにたとえる。

新たな厩舎(きゅうしゃ)の建設も進む。馬を間近で見られる共用キッチンなどがある交流施設も今年の夏に完成予定だ。

牧場すぐそばに設置された災害ごみの仮置き場を眺める角居勝彦さん。2年がたち、災害ごみはだいぶ少なくなってきた
放牧場整備のための木の枝を運ぶ角居さん。調教師時代にはしなかった色々な作業も行う

「能登の復興と理想の牧場づくり。次の世代につなげていけたら」

震災から2年、今年の干支は午(うま)。ゴールははるか先かもしれない。それでも馬と人は復興に向け歩みをともにしている。

「馬は不思議な生き物。まだまだ分からないことばかり」と角居さん

筆者:鴨川一也(産経新聞写真報道局)

2026年1月1日産経ニュース【探訪 能登半島地震2年】を転載しています

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