バンコクで開かれたSSBWシンポ参加者(杉浦美香撮影)
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高齢化先進国の日本と、日本より早いスピードで高齢化が進むタイで、ウェルビーイングを目的に最新の感覚科学の研究が進められている。バンコクで今年1月末に研究者、産業界、栄養関係者ら120人が参加した「よりよい幸福のための感覚科学のネットワーク」(SSBW)シンポジウムは、感覚科学の知見を社会課題に結びつける提案がなされた。
コーラとペプシ 嗜好の決め手は記憶?
SSBWは、人の五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)を通じて得た情報が嗜好や感情にどう影響するかについて研究する「感覚科学」の最新の知見を、日本とタイで共有、精神的心理的価値を引き出すために2022年、味の素グループの支援で設立された。

シンポジウムでは最初、東北大学の坂井信之教授が、高齢化により味覚や嗅覚が低下し、空腹感や食欲の減退につながることを指摘した。一人暮らしの高齢者が増加しており孤食も食べる意欲を低下させているという。そのうえ、市販の便利な食品は多くが若い人向けであり、高齢者は馴染みのない食品を摂取するのを避ける傾向にあるという。

興味深い例として、コカ・コーラとペプシの比較実験も紹介された。両方を飲んだ時の脳活動を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で調べたところ、コーラでは記憶を司る海馬などの領域が強く活性化した。ペプシのデザインは変更されているが、コーラは長年変わらず、サンタクロースの絵と共に広告されるなど楽しい感情と結びつけられているためと考えられる。坂井教授は「高齢者にとって馴染みのある味や匂いは安心感をもたらし、ウェルビーイングを向上させる」と述べ、「なつかしさ」が高齢者の食欲喚起の重要なキーになることを強調した。

食育に裏付けられた日本の栄養政策
NPO法人うま味インフォメーション研究センターの畝山寿之理事は、日本の健康政策が注目される理由について、「日本が急速な経済成長を経験しながらも、肥満率が低い状態を維持してきたからだ」と指摘する。

背景には食育制度の存在があり、学校でだし・うま味を基本とした和食を中心に給食が提供され、子どもの健全な食習慣を育み、健康長寿のウェルビーイングの基盤となっているという。
重要な企業の役割
シンポジウムでは、「政策対話」のセッションが、タイ王室栄養アドバイザーのクラシッド・マヒドン大名誉教授の司会で開かれ、タイの食政策と企業の役割がフォーカスされた。

タイでは2008年に国家食品委員会が設立され、「食の安全保障」、「食の安全・品質」「栄養・健康」「管理・運営」を統合的に推進している。また、脂質・塩分・糖分などの栄養表示が義務付けられ、100mlあたり6グラム以上の糖分を含む飲料は課税対象になっている。
企業は製品成分の見直しを迫られているが問題は単純ではないという。タイ食料・飲料産業連盟のピチェット事務局長は「糖尿病は糖分だけが原因ではなく、消費量が減っても発症率は必ずしも減らない」と言及。また、製品の「成分再設計」は難しく、変更コストを価格に転嫁すれば消費者の購買意欲をそぎ、製品が売れなければ、「健康にいい」製品が淘汰されてしまうという。塩分については過剰摂取が課題となっており、タイでは今まさにナトリウム税導入を検討中だが、センシティブな扱いになっている。

今回、偶然にも会場の隣でナトリウム税に関するワークショップが開催されていた。ピチェット氏が入室しようとしたところ拒否されてしまったという。畝山氏は「ピチェット氏が産業団体に所属していたからだろう」と指摘する。食環境の整備は規制する側とされる側といった対立構造をうみ、官と民との間に大きな壁があるという。
これに対して、日本では減塩推進のため「健康で持続可能な食環境戦略イニシアチブ」が産官学で取り組まれ、イニシアチブ実現に向けては研究のハブである国立健康栄養研究所では企業が参加した産官学連携の共同プロジェクトが進んでいる。畝山氏は「SSBWの活動を通じ、日本とタイ双方が互いのやり方を学ぶ機会になってほしい」と話す。
食環境づくりへの取り組み
タイでは、現地の味の素財団が公立小学校に給食施設を整備する支援を行っている。
「子どもたちのよりよい食事は、明るい未来を作り強い国を作る」とソンチャイ・財団副理事長は指摘する。2010年から順次補助しており、25年までに180校を支援した。現在は、ハードだけではなく、栄養教育プログラムの導入にも力をいれている。

さらに、金融分野もウェルビーイングの領域に踏み出し始めている。
タイで資産規模第5位のアユタヤ銀行の酒井宏明VP(Vice President)は「健康な人は金利が低いという世界も今後はありうる」と話す。その第一歩として、まずアユタヤ銀行内で日系企業の健康管理のアプリを従業員に導入、データの活用も検討しているという。


食は世界の共通言語
減塩、減糖、栄養改善といった食を巡る議論だけでは、人の行動は変わらない。シンポジウムを企画した、チュラロンコン大学心理学部学部長のナタスダ准教授は「食は単なる食べ物ではない。世界の共通言語であり、人々が時間を共有しつながる手段であり、そこにウェルビーイングがある」と話す。

タイの高齢化率は2023年で15%に達し、2050年には35%を超えるという。そのスピードは日本よりはるかに速い。共通課題である高齢化社会を健康に乗り切り、次世代に託すために、食の感覚科学を軸にした政策立案が期待されている。
筆者:杉浦美香(Japan 2 Earth編集長)
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