安倍晋三首相が28日、持病の悪化を理由に唐突にも見える辞任表明をしたのは13年前、平成19年の第1次政権退陣時の教訓からだった。当時、臨時国会開会後すぐの退陣となり、国会や各省庁を混乱させ、国民から「投げ出し」批判を受けた経験は、絶対に繰り返さないとの決意があった。
「すでに人事やっていたら…考えてね」
「万が一、もう一回(潰瘍性大腸炎の症状が)悪くなったときに、すでに人事をやっていたらどうなるかなども考えてね」
首相は28日夜、辞意表明のタイミングについて語った。首相周辺は「責任感の塊だから、持病が悪化したときに自衛隊の最高指揮官が務まるかどうかも考慮したのだろう」と話す。
19年9月、首相は内閣改造を行い、臨時国会の所信表明演説で「首相の職責を果たす」と表明した2日後に退陣表明し、その翌日に入院した。持病悪化のためだったが、病状を伏せたままの突然の辞任は厳しい批判を受けた。
別の首相周辺は今回の首相の辞任について「ぎりぎりまで無理をして、体力が持たなくなったあの時と同じことは絶対に避けたかったと思う」と打ち明ける。
コロナ綱引き、広島・長崎出席で消耗
7月末から8月上旬にかけては、新型コロナウイルスは全国的に感染爆発が起こる「第2波」への懸念が高まっていた。
この頃、政府は今秋以降のインフルエンザ流行期に備え、新たな対策パッケージの取りまとめを本格化した。新型コロナを感染症法上、危険度が高く患者に入院を勧告する「2類相当」とした扱いの引き下げをめぐり、見直しを求める官邸と慎重姿勢の厚生労働省の間で駆け引きが続いた。
一方、首相は7月半ばから体調に異変が生じ、8月6日の広島、9日の長崎のそれぞれの原爆平和祈念式典への出席は「かなりつらそうだった」(官邸関係者)。8月上旬には持病再発が確認され、心身ともに消耗しながらの出張だった。
慶大病院への通院…あえて見せる
首相は17日、24日と2度にわたり慶応大病院で治療を受け、治療は長期化することを告げられた。首相が通常は最高機密である自身の健康不安説が広まることを承知の上で、報道陣に分かるように病院に入ったのも「13年前の教訓からだ」(首相側近)という。
新薬の投与効果もあり、24日の治療後は体調は回復基調となった。だが、まさに連続在職日数単独1位となったその日、首相は辞任を決断した。8月下旬に入り、東京都の新規感染者数は小康状態が続いていた。新型コロナの新たな対策パッケージも、取りまとめの道筋がついていた。
ただ、次の首相の元で新たな内閣が発足し、政権運営が軌道に乗るまでには数週間はかかる。もとより、政治空白が生じることは避けなければならない。
「次の首相が決まるまで私は任期を全うする。新型コロナ対策を含め引き続き全力で取り組むのでよろしくお願いします」
首相は28日午後、秘書官全員を集めて辞任の意向を伝え、頭を下げた。持病と戦いながら、第2次政権発足から7年8カ月の安定長期政権を築き上げた大宰相は、自らの引き際も1人で周到に準備して決断した。
筆者:小川真由美、阿比留瑠比(産経新聞)