前回に続き、国木田独歩の短編「武蔵野」について、お話を進めたいと思います。
独歩の「武蔵野」は、どの部分をとっても美しく、その全篇が一つの“ポエジー”になっているかのようです。そして極め付きは、この作品の中心を成している“日記”ではないかと思います。
彼の日記は変則的で短いものが多く、日記と呼ぶより、「メモ」のようなものです。しかしその一つ一つが実に的確で無駄がありません。先ほどお話したように全編がポエジーなら、彼の日記はいかにも日本人らしい、限られた形式の中で美を表現する俳句のようなものと云えるでしょう。
この日記は、明治29年の秋の初めから春の初めまで、今の渋谷で(当時は渋谷村)で書かれました。その中から心に残る幾つかを紹介することに致しましょう。
明治29年9月21日『秋天拭うがごとし、木葉火のごとくかがやく。』
11月4日『天高く気澄む、夕暮れに独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく遠し。』
11月19日『天晴れ、風清く、露冷ややかなり。満木紅葉の中緑樹を雑ゆ(まじゆ)。小鳥梢(こずえ)に囀(てん)す。一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足に任せて近郊をめぐる。』※小鳥が梢でさえずっている
11月23日 『昨夜の風雨にて本葉のほとんど揺落せり。稲田もほとんど刈り取らる。冬枯れの寂しきさまとなりぬ。
11月27日『昨夜の風雨は今朝名残なく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真っ白に連山の上にそびゆ。風清く気澄り。げに初冬の朝なるかな。田面に水あふれ、林影さかしまに映れり。』
明治30年1月13日『夜ふけぬ。風死し林黙す。雪しきりに降る。燈かゝげて戸外をうかがう。降雪火影にきらめきて舞う。あゝ武蔵野沈黙す。しかも耳をすませば遠きかなたの林をわたる風の音す、果たして風声か。』
1月14日『今朝大雪、葡萄棚墜ちぬ。夜ふけぬ。梢をわたる風の音遠く聞ゆ、あゝこれ武蔵野の林より林を渡る冬の夜寒の凩(こがらし)なるかな。滴声軒(てきせい、のき)をめぐる。』 ※ 雨音が家の軒を巡っている
1月20日『美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀す。梢頭針のごとし。』
2月8日『梅咲きぬ。月ようやく美なり』
2月21日『夜11時。屋外の風声をきく。たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁(のが)れし。』
この日記を読むと、独歩が心から武蔵野の自然を愛していたことが大変強く感じられます。 彼は人々の寝静まった夜半に起き、自然と一体化し、瞑想します。そこには宗教者や哲学者の姿を見ることもできるでしょう。
この日記からわかることはまだあります。現代のような騒音の時代にはない“静寂“ が、東京にあったということです。 又、独歩は渋谷村での体験を、単なるセンチメンタルな感情に溺れることなく、知性を持って受け止めていることが素晴らしいと思いました。
こうした独歩のある日の暮らしぶりが、タイムカプセルのように詰まっているのが彼の日記であり、名作「武蔵野」ではないでしょうか。
筆者:悳俊彦(洋画家・浮世絵研究家)
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【アトリエ談義】シリーズ
第1回:歌川国芳:知っておかねばならない浮世絵師
第2回:国芳の風景画と武者絵が高く評価される理由
第3回:浮世絵師・月岡芳年:国芳一門の出世頭
第4回:鳥居清長の絵馬:掘り出し物との出合い
第5回:国芳の描く元気な女達
第6回:江戸のユーモア真骨頂“国芳の戯画”
第7回:歌川国芳の弟子たちを通してみる国芳の遺産
第8回:武蔵野の思い出と私の宝物
第9回:浮世絵の継承者たち
第10回:浮世絵の原点
第11回:武蔵野とは?
第12回:国木田独歩の「武蔵野」