Legacy of Soviet State Terror-Genocide 009

 

10月7日、ロシアのプーチン大統領は68歳になった。同時にこの日は、プーチン体制下でチェチェン民族弾圧の苛烈な実態を暴き続けた「ノーバヤ・ガゼータ(新しい新聞)」紙記者、ポリトコフスカヤさんが48歳でテロの凶弾に倒れた命日だ。モスクワ市内の自宅前での白昼の犯行だったが、真犯人は不明なまま14年もが経(た)った。

 

Investigative journalist, Anna Politkovskaya had written critically about Russian abuses. (AP Photo/Fyodor Savintsev)

 

『暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う』(新潮社)の著者、福田ますみ氏は「プーチンにへつらう人間か、ないしはその手下が、プーチンへの最高の誕生日プレゼントとして企てたのではないかと言う者もいた」と書いた。

 

今年は8月20日、「反プーチン」の指導的活動家、ナワリヌイ氏(44)が軍事用とされる神経剤「ノビチョク」系の毒物を盛られて意識を失い、ドイツの病院に搬送された事件が国際的指弾を浴びている渦中だ。それだけにモスクワで一度だけ会ったポリトコフスカヤさんの凜(りん)とした面影が一段と偲(しの)ばれる。

 

 

チェチェン弾圧の深淵(しんえん)

 

「チェチェンの闇」はあまりに深い。ソ連崩壊後、ロシア軍は北カフカス・チェチェン共和国の独立を阻止するため1994年と99年、2回にわたり軍事侵攻を開始、誘拐、拷問、殺人…と暴虐の限りを尽くした。犠牲者は最低10万人とされる。第2次戦争前にはモスクワなどで不可解なアパート爆破事件が発生、約300人の犠牲者を出したが、ロシア当局は一連の事件を「チェチェン人のテロ」と決めつけ、開戦に突き進んだ。この勝利の神輿( みこし )に乗って登場したのが「プーチン大統領」である。

 

一方でこの爆破事件へのロシア連邦保安庁(FSB)関与説を探っていた元FSB中佐、リトビネンコ氏は英国亡命を余儀なくされ、44歳だった2006年11月、放射性物質「ポロニウム210」で毒殺された。

 

ガレス・ジョーンズ。独裁者スターリンがソ連最大の穀倉地帯のウクライナで1932~33年、人為的に仕掛けた「ホロドモール(ウクライナ語で飢餓による大量死)」の惨状を決死の潜入取材でスッパ抜いた英国人記者だ。この実話がポーランドの名匠、ホランド監督の手で映画化され、今夏、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』とのタイトルで日本に上陸した。

 

'Mr. Jones' (Movie) Photo by Robert Palka © 2019 Film Produkcja All rights reserved

 

英国記者が満州で暗殺

 

ホロドモールは強引な農業集団化に伴う「階級敵・富農」の抹殺と農民からの穀物の残忍な徴発に伴い、300万人超の餓死者を出した。「飢餓テロだ」と断罪する歴史家もいる。ジョーンズ記者は33年3月、モスクワから過酷な監視網をかいくぐってウクライナ東部の町スターリノ(現在はドネツク)に貨物列車で潜入、家族同士による人肉食いなど「恐ろしい光景」を目撃する。最後は拘束され英国に強制送還されるが、ヒトラーのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と同じようなホロドモールの断面を西側で初めて英米の新聞に暴露して注目された。

 

首相就任直後のヒトラーとの単独会見歴も持つジョーンズ記者は、東洋にも関心を向け、34年には日本にも一時滞在した。ところが、30歳の誕生日前日の35年8月12日、取材先の満州で射殺されてしまった。ソ連のスパイ犯行説が強い。この5年後、スターリンは最大の政敵だったトロツキーを亡命先のメキシコで密使に惨殺させた。独裁体制の闇を暴こうとし、自分に盾突く輩(やから)は地球の果てまでも追跡して殺した。プーチン氏も「テロリストは便所に追い詰めても一掃する」と言い放つ。

 

 

スターリンから習近平へ

 

スターリンに発する特定民族弾圧の「赤い闇」は、プーチン政権から今やそのまま、まっすぐに中国に連なっている。国家テロの連鎖だ。習近平国家主席はウイグルなど少数民族の言語や宗教、風習など文化すべてを抹殺する「中華民族共同体意識の導入」、いわば同化政策の強化を臆面もなく公言し始め、強制収容所も拡大しているという。

 

大阪在住のウクライナ人国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏は「ロシアと中国は侵略主義、拡張主義、人権蹂躙(じゅうりん)、恐怖政治、さらには人を基本的に殺してもいいという価値観を共有している」と指摘する。

 

トランプ米政権が中国との「全面対決」モードに入った中で、プーチン、習両氏はともに憲法を恣意(しい)的に改め、終身独裁への道を開いた。途中退場すれば、「赤い闇」に消された有名無名の夥(おびただ)しい死者の亡霊が、いつ自分に歯向かってくるか、枕を高くしては眠れないからだろう。

 

筆者:斎藤勉(産経新聞論説顧問)

 

 

2020年10月11日付産経新聞【日曜に書く】を転載しています

 

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