米国の専門誌による日本庭園ランキングで17年連続の日本一となっている島根県安来市の足立美術館は11月3日で開館から50年。創設者、足立全康(ぜんこう)氏(1899~1990年)の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念のもと細部まで手入れされた木々が季節ごとに違った表情を見せるが、庭園の景観を守るために山の一部を買い取ったこともあるという。
庭園は一枚の絵画
昭和45年11月に開館。日本庭園と日本画の調和が創設以来の基本方針で、横山大観を中心に竹内栖(せい)鳳(ほう)、上村松園(しょうえん)ら日本画壇を代表する巨匠らの作品を多く所蔵し、四季の庭園の風景に合わせて展示替えを行っている。
庭園は借景の山を含め約16万5千平方メートルの広さがあり、「枯山水庭」や「白砂青松庭」などの庭園が整備されている。庭園には絶妙に配置された松やサツキ、ツツジ、モミジなどが広がり、まるで一枚の風景画のようだ。視界に入る山にも電線や電柱などの人工物はない。庭園美を壊さないようにと借景となる山の一部を同館が購入したという。
その美しさは、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで桂離宮(京都市)などを抑え17年連続で1位になるほど。管理水準の高さが絶賛されてのことだが、同誌の調査は専門家が一般客に交じって隠密に行う。職員にとって「毎日が緊張の連続」という。
徹底した維持管理
同美術館によると、入館者数はここ数年、年間60万人以上を記録。庭園の認知度は海外にも広がり、近年は外国人の増加も目立っている。人気を支えているのが、専門誌でも評価された、職員一人一人の徹底された維持管理への高い意識だ。
開館前に職員総出で竹ぼうきを手に掃除するのが毎朝の光景。白い砂の上を掃き清めるとともに、落ち葉や黒い石、コケの上にある砂を拾う。専属の庭師が7人いるのも同館ならではという。芝の刈り込みや砂の入れ替えなど庭園が美しく見えるよう、手間を惜しまない。
仮植場と呼ぶバックヤードでは、松やコケのスペアを育てており、赤松だけで約400本を数える。木が成長しすぎて庭園のバランスが崩れたときは植栽自体を植え替えることもある。
そこには創設者、全康氏の思いが宿る。
安来市出身の全康氏は戦後、大阪で繊維業や不動産業で成功を収めた。美術品を収集し、「故郷に恩返しをしたい」と71歳のときに同館を開館した。91歳で亡くなるまで庭づくりや美術品の収集に情熱を注いだ。
美術館敷地の池庭近くには生家が残る。全康氏は美術館を開館後、周囲が反対する中、床の間の壁を自らトンカチで切り抜き、外の庭園が見える「生の掛軸(かけじく)」にした。これが館内の窓を額縁にした人気の鑑賞ポイント「生の額絵」にもつながっている。
日本庭園の基本形が完成するまでに15年の歳月をかけた。社員旅行の際、全康氏が電車の窓から見た赤松を大変気に入り、旅行が「赤松探し」に変更されたというエピソードも残る。
赤松は現在約800本が植えられ、景観上重要な役割を果たしている。同美術館の武田航広報部長は「赤松を植えて手前と奥で濃さを変えて剪定(せんてい)することで、山と庭園が自然につながっているように見える」と説明する。
「来訪者が1人でも開館」
「一人でも訪れる人がいるのであれば開館させる」という全康氏の信念を引き継ぎ、同館は50年間、一度も休業をしたことがない。
この間、台風や地震などにも見舞われたが幸い致命的な被害はなく、一日も閉館することなく「無休」を貫いてきた。最大の危機は新型コロナウイルスの感染拡大だったが、徹底した安全対策を継続して実施することで何とか開館を続けることができたという。
半世紀で培った庭づくりのノウハウは引き継がれ、台風などで葉や枝が散ることがあっても開館時には一枚の葉も落ちていない完璧な庭園へと仕上げている。
武田部長は「50周年を迎えてもやることは同じ。来館していただいたお客さまに感動してもらえるよう、これからも徹底した維持管理を続けたい」と話している。