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1万年以上続いた日本の縄文時代の変遷を17の遺跡で物語る「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録される見通しとなった。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が勧告した。7月の世界遺産委員会で正式決定する。
国内の文化遺産は一昨年の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に続き20件目で、文字を持たない先史時代の遺産は初めてだ。近年多様化する世界遺産の流れに沿うもので、勧告では「農耕を伴わない定住社会や複雑な精神文化を示している」と評価した。
遺跡は約1万5000~2400年前のもので北海道、青森、岩手、秋田の4道県13市町にわたる。縄文時代を代表する大規模集落跡の三内(さんない)丸山遺跡(青森県)やゴーグルのような目の遮光器土偶が出土した亀ケ岡石器時代遺跡(同)、ストーンサークルで知られる大湯環状列石(おおゆかんじょれっせき)(秋田県)などいずれも貴重な遺構ばかりだ。
とはいえ国内外に同時代の遺跡は多くある。奏功したのは、その始まりから成熟までを津軽海峡を挟み同一の文化圏にあった17遺跡で説明するという戦略だった。
なかでも評価されたのは縄文文化の高い独自性である。世界では、農耕・牧畜が始まって、移動生活から定住生活に移ることが多い。ところが日本では、稲作が伝わる前に縄文人は狩猟や採集生活をしながら定住していた。
豊富な海山の恵みを享受し、三内丸山遺跡ではクリを栽培していたこともわかっている。精神文化を示す祭祀(さいし)遺跡に、漆や天然のアスファルトの使用など高い技術で生活文化をはぐくんだ。障害がありながら成長した人骨も発見され介護を受けていたとみられる。
そうした暮らしはゆるやかに発展しながら1万年以上続いた。自然と共生してきた日本文化の原点、日本人の原像といえよう。
ただ、今後の課題もある。遺跡は地中にあるいわば見えない遺産だ。展示や情報発信の仕方など、さらなる工夫、知ってもらう努力が必要だろう。勧告では「不適切な構造物」の撤去や影響の軽減が指摘されており、一部遺跡の間を県道が走るなど環境改善が望まれる部分もある。保全状況などは自治体によっても異なり、力を合わせ一貫した取り組みが必要だ。
縄文時代にあった豊かな生活文化や精神文化を、まず日本人が知ることから始めたい。
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2021年6月6日付産経新聞【主張】を転載しています