Shohei and Little Shohei

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2人の「翔平」が心臓移植を待つ小さな命の未来を紡いだ。米大リーグのア・リーグ最優秀選手(MVP)に選出されたエンゼルスの大谷翔平選手(27)と、その力強さにあやかって命名された川崎翔平ちゃん。心臓の病を抱えていた翔平ちゃんは2年前、わずか1歳8カ月で旅立ったが、歴史を刻む活躍を見守っている。母の静葉さん(36)=兵庫県伊丹市=は11月、2人の交流などをつづった手記を出版。「翔平選手の活躍はたくさんの人の希望になった」。投打の二刀流でつかんだMVPは、天国にも届けられた。

 

大谷翔平選手  (Mark J. Rebilas-USA TODAY Sports)

 

夢のような交流

 

「トレーニングをされて体はすごく大きくなったけど、あの時の優しい姿のままでした」。今季の活躍をテレビで応援してきた静葉さんは、穏やかな笑みを浮かべた。

 

平成29年6月に生まれた川崎翔平ちゃん。妊娠中に心臓の異変が見つかり、生後すぐに治療が始まった。心臓機能が低下する拡張型心筋症で、心臓移植が必要な状況だった。「大谷選手のように強い子に」。両親はそんな願いを込め、わが子に「翔平」と名付けた。

 

30年秋、移植のための募金活動が始まった。小児心臓移植は国内ではドナーが少なく、海外での移植が中心だ。医療費のほか設備が整ったチャーター機での渡航が必要で、数億円の費用がかかる。翔平ちゃんも症状の悪化と闘いながら、渡米しての移植を待つ日々が続いた。

 

「応援のメッセージだけでももらえないかな」。淡い期待を抱きつつ大谷選手に打診したところ、思いがけず見舞いの快諾をもらった。夢のような交流は31年1月5日、大阪府内の病院で実現した。

 

2つの補助人工心臓を装着した翔平ちゃんの体を、大谷選手の大きな手がそっと包み込む。指で頰をなで、「こんにちは」「あったかいね」とはにかんだ。

 

交流は約1時間。家族以外に抱かれると泣くこともあったというが、大谷選手の膝の上ではリラックスした表情を浮かべていた。「心地よかったんだと思う」(静葉さん)

 

大谷選手は翔平ちゃんに優しく話しかけ、静葉さんと夫の太志さん(33)の言葉にも真剣に耳を傾けたという。

 

 

子供2人の命救う

 

大谷選手との面会は、活動を大きく後押しした。この日の様子が報じられると全国から募金が急増し、目標額の3億5千万円に到達。しかしその2カ月後の3月10日、翔平ちゃんの体調が悪化し、移植はかなわぬまま帰らぬ人となった。

 

翔平ちゃんに寄せられた募金は、同じように移植を待っていた2人の子供の命を救った。

 

それでも翔平ちゃんのように、移植に間に合わずに亡くなるケースもある。日本臓器移植ネットワークのまとめでは、今年10月時点で心臓移植を待つ9歳までの子供は50人。静葉さんは「緊張の糸が張り詰めた状態で待っていることも、早い方がいいこともよくわかるだけに、もどかしいというのが本音」と胸のうちを明かす。

 

手記では、翔平ちゃんの闘病の様子や当時の心境を率直につづった。ためらいもあった。しかし心臓移植の現実を伝え、状況を変えたいとの思いがあった。印税の一部は産経新聞厚生文化事業団の「明美ちゃん基金」を通じ、心臓移植を待つ子供たちのために使われる。

 

 

手記のタイトルは「翔平選手と翔平ちゃん 奇跡のキャッチボール」(光文社)。あの日、大谷選手から贈られたサインボールを、翔平ちゃんが小さな両手を使って投げ返した瞬間を切り取った。

 

今季、投打の二刀流で活躍した大谷選手は、帰国後の会見では翔平ちゃんにも触れ、「ちょっとでも寄付してみようかなと思ってくれる方がいたらうれしい」と話した。

 

大谷選手が本塁打を打つたび、白星を挙げるたび、静葉さんは天国の翔平ちゃんに話しかける。日米のスターとなった今も、翔平ちゃんに向けた優しいまなざしは変わらない。静葉さんは言う。「翔平はお空に行ったけど、翔平選手のおかげで多くの人の気持ちが動いた。本当に感謝しかない」

 

筆者:鈴木俊輔(産経新聞)

 

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