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2021年12月13日は、中国共産党の歴史観が香港の子供たちに叩(たた)き込まれた日だ。
「84年前のきょう、南京が日本軍に攻め落とされました。南京では30万人もの中国の同胞が虐殺されたのです-」
香港政府は昨年、「南京大虐殺」の追悼活動を小学校、中学校(中学・高校に相当)に指示。各校は、中国で追悼式典が行われる同日に合わせ、特別授業を実施した。初めてのことだ。
香港メディアによると、ある小学校では、人が殺害される映像や写真を見て泣き出す児童もいた。
犠牲者数をめぐっては諸説がある。「30万人」は中国側が主張する数字だ。翌14日付の中国系香港紙は「30万という数字を聞いて身の毛がよだつ思いがしました」という児童の感想を掲載した。社説では「小さいころから正確な歴史観をもつように手助けし、愛国心を育まないといけない」と正当化した。
「教育現場の変化が速すぎる…」
香港の中学校で20年以上教壇に立つ張偉強(仮名、40代)は驚く。張によると、香港国家安全維持法(国安法)が20年6月に施行されるや、香港・教育局は各校に通達を出した。
「まず、先生が国安法について学ぶカリキュラムが導入され、国安法の下でどのような教育を行えばいいのかを指示された」
たとえば、生徒には「中国は民主国家である」と教えなければならない。その際、生徒に疑問を抱かせないようにする必要がある、と指導された。
「つまり、生徒を洗脳せよということ。教師の仕事は、愛国者を育てることに特化された。批判できるのは、外国に対してだけだ」
生徒たちの反応はどうなのか。19年に本格化した反政府・反中デモでは未成年者も数多く参加した。
「それが、みんな黙って聞いている。『異を唱えてはいけない』という雰囲気が教室に満ちているんだ」
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そもそも香港の中学校には、社会問題をテーマに生徒の考える力を伸ばす「通識」という科目があった。
しかし「愛国心ではなく批判的思考を育んでいる」と中国政府が非難。昨年9月から、中国国民としての意識を高める科目「公民と社会発展」に変更された。
通識を教えていた男性教諭(32)は退職した。
「生徒の探求心を育成する科目だったのに、教師が教える方向を決めてしまう授業なんてしたくない!」
張の中学校では、記念日などに行う中国国旗の掲揚式も厳格だ。工事などで校庭に生徒が集まれないときには、各教室で生徒全員が起立し、掲揚式の中継映像を見なければならない。
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張によると、最近、教育局から新たな通達が各校に出された。
「普通話(北京語)教育を強化せよ」
香港で日常的に使用される言語は広東語である。1997年の中国への返還以降、北京語教育は行われてきたが、その強化・加速を指示したものだった。
「最近、通りで子供たちが北京語で会話しているのを見掛けることが多くて、ぞっとする」
民主派の元区議会議員はこう話す。中国本土からの移民だけでなく、香港人の子供も日常的に北京語を使い始めているという。
「北京は、血の入れ替えを行うつもりではないか」
彼の念頭には、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区がある。同自治区では、漢族が大量移住し北京語での会話が主流になった。そして、ウイグル語しか話せないウイグル人たちが教育目的で送られた先が収容所だった。
当局による改造は教育にとどまらない。香港政府は昨年12月、公務員を対象に中国共産党の理念や、国家の安全を守る心構えを教える「公務員学院」を設立した。政府トップの行政長官、林鄭月娥(りんてい・げつが)は「共産党の理念と精神を尊重しなければならない」とあいさつした。北京語だった。
30代の男性公務員は「全ての公務員は、政府に忠誠を誓う誓約書にサインをさせられた。もはや私の知っている自由な香港ではない」と嘆き、声を落とす。
「まるで中国の植民地になったようだ」
=敬称略
筆者:藤本欣也(産経新聞)
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2022年1月14日付産経新聞【香港改造】(全5回)を転載しています