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昨年は国際浮世絵学会賞なるものを頂いたおかげで、慣れない記念講演があり、なんとも慌ただしい一年になりました。それも、招かざる客、新型コロナ流行のため、更に慣れないオンラインの講演となり、娘の手を借りて、なんとか難関をクリアしほっとしました。
スタートが遅れましたが、新しい年のアトリエ談義です。どんなテーマが皆さんに興味を持ってもらえるか考えましたが、やはり、未だに私たちを困らせている「新型コロナの大流行」は、今最も身近なテーマと言えるのではないでしょうか。
江戸時代にも痘瘡(天然痘)等の大流行があり、私たちのご先祖もこの招かざる客と戦い、なんとか乗り超えてきました。今のように、流行病が医学的にはっきり解明されていなかった時代、庶民は “民間信仰”に助けを求めました。これからご覧いただく「ほうそう絵」もその代表的なもので、これを壁や襖に貼ったり、枕の下に敷いたりすれば、疱瘡神が逃げ出すと信じたのです。
では、私たちが直面している新型コロナが早く収束することを願いながら、素朴で味わい深い「ほうそう絵」をご覧ください。
「ほうそう絵」は、魔除けになるとされていた赤一色で摺られており、描かれているのは、子供が利発で健康に育つように、という親の願いを込めた「勇ましい武者」、「力持ちの金太郎」、また、軽やかに飛ぶ小鳥や動物などです。ここにご紹介する、“森の賢者”とも云われる「みみずく」も、健康で頭の良い子に育つ事を願って描かれたのでしょう。尚、みみずくのお腹に「寿」の文字が入っているのは、この絵が「ほうそう絵」にとどまらず、「祝い絵」としての用途も兼ねていたからでしょう。
これは日刊新聞の付録として刊行された、“新聞錦絵”というものです。可愛い女の子を乗せたつもりの人力車の車夫が、ふと振り向くと、なんと女の子は恐ろしい「疱瘡神」に変貌していたのでびっくり仰天!といった情景が描かれています。この話はあたかも実話のように書かれていますが、あまり信ぴょう性のない、今で言う週刊誌ネタのようなもので、当時、大変人気があったようです。尚、この種の新聞錦絵では月岡芳年による“東京日日新聞”が、よく知られています。
この“ほうそう絵”は、大津地方で描かれた民画(いわゆる大津絵)のスタイルで描かれたものです。原画はおそらく幕末と思われますが、ここにご覧いただく作品は、おそらく大正以後の刊行と推測します。このような、大津絵スタイルの版画は、幕末から明治、大正に入っても盛んに版行されていたようです。子供の健康を願う気持ちは、昔も今も変わることはないでしょう。
今回は、疫病と戦い、苦難を乗り越えてきたご先祖を偲んで、「ほうそう絵」をご覧いただきました。それでは次回をお楽しみに。
筆者:悳俊彦(洋画家・浮世絵研究家)