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日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収計画が、米政府に阻止された。政府の決定が覆らない限り、日鉄は米国事業の基盤強化を前提とする成長戦略の修正を迫られる。ただ、最大の敗者は「最良のパートナー」を逃したUSスチールだ。バイデン大統領の政治判断は、対中国で日米鉄鋼業の競争力を損なう危険をはらんでおり、買収に終始反対した全米鉄鋼労働組合(USW)も敗者に転じる可能性がある。
歴史に終止符を打つことになる
「この取引を阻止することは、(地元)ピッツバーグが鉄鋼の街であった100年以上の歴史に終止符を打つことになる」。USスチールのデビッド・ブリット最高経営責任者(CEO)は、米紙ニューヨーク・タイムズへの昨年12月22日の寄稿で警鐘を鳴らしていた。
そもそも買収計画は、単独では生き残れないUSスチールによる身売りの入札で始まった。
日鉄には、USスチールの事業基盤を自社の技術力で強化し、自動車向けなどに安定した成長が期待できる米市場を取り込み、日米連合で世界最大の鉄鋼生産国の中国に対抗する狙いがあった。買収後にUSスチールの2つの製鉄所の設備更新などを中心に27億ドル(約4200億円)以上を追加投資すると表明していたのもこのためだ。
買収計画の頓挫で白紙に
日鉄は昨年、買収計画の承認を米政府に働きかける一方、鉄鋼生産の収益の安定に寄与する原料炭の権益獲得や、水素を使った次世代の製鉄に適した高品質の鉄鉱石の開発にも投資。水素利用の次世代製鉄技術では試験設備で43%の二酸化炭素削減を世界で初めて実現するなど、着々と競争力に磨きをかけている。こうした日鉄の投資と技術力から得られるはずだったUSスチールの利益は、買収計画の頓挫で白紙となる。
米政府が、同盟国の日本の鉄鋼メーカーの買収提案を安全保障を理由に拒否した以上、USスチールが海外企業との全面提携に活路を求める道は閉ざされた。
米鉄鋼メーカーのクリーブランド・クリフスがかねてUSスチールの買収に意欲を示しているものの、米企業同士の組み合わせは独占禁止法上の事業再編や合理化を招く公算が大きい。
買収阻止を明言していたトランプ次期大統領は昨年、「税制優遇措置と関税を通じて、USスチールを再び強く偉大な企業にする」と表明したが、技術力なしに製造業の競争力の真の回復は望めない。トランプ氏は前政権時代に、既に関税を引き上げて米鉄鋼業界を保護している。それでもUSスチールが身売りを決断した事実が、政府による支援の限界を示す。
米大統領選の最中の昨年10月、トランプ前政権で副大統領を務めたペンス氏は、日鉄の買収が承認されなければ「何千人もの米国人労働者が職を失い、(USスチールの本拠地のペンシルベニア州など)『ラストベルト』と呼ばれる工業地帯は再び空洞化し、政府に裏切られることになる」と指摘していた。
米鉄鋼業の復権か、衰退か
USWは、買収阻止で政治的な影響力を誇示する勝者となったように映るが、USスチールの先行き次第では、米鉄鋼業の復権か、衰退かの重大な岐路で道を誤らせた敗者になるかもしれない。
世界の鉄鋼市場では、景気低迷で内需がしぼむ中でも過剰生産を続ける中国の輸出拡大が市況を荒らしている。日鉄は今後、高成長が続くインド事業や既存の米国事業の強化を探る見込みだが、日米連合の実現により「中国による世界の鉄鋼生産の支配力は弱まるだろう」(ブリット氏)との期待は幻となった。
バイデン氏の決定で得をしたのはいったい誰なのか。安保の観点で外資から守られたはずのUSスチールとその株主、従業員でないことは確かだ。
筆者:池田昇(産経新聞)
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