中華人民共和国が台湾を「中国の不可分の領土の一部」とするのは、明朝の残存勢力を攻略した清の動きと同じである。日本政府は、「日中共同声明」で「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」として、台湾については曖昧な態度をとっていた。
Senkaku Islands

尖閣諸島(鈴木健児撮影)

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清代の地理書『大清一統志』(「乾隆版」)では台湾を「日本に属す」とし、「古より荒服の地、中国に通ぜず」としている。清朝以前の台湾は「化外の地」とされ、『明史』(「地理志」)では台湾を「外国」に分類し、『大明一統志』(「外夷」)は「琉球国」の付属島嶼(とうしょ)としていた。その台湾が清朝に占拠されたのは、明の遺臣が台湾を拠点に清に抵抗していたからだった。清朝が台湾に台湾府を置くのは康熙22(1683)年、水師提督の施琅が攻略したからである。

この歴史は、中国政府が台湾を「中国の不可分の領土の一部」とし、その武力統一を目指す姿と重なっている。清朝が滅亡し、中国大陸に興った中華民国は、1949年、中華人民共和国との内戦に敗れて台湾に逃れていた。中華人民共和国が台湾を「中国の不可分の領土の一部」とし、「核心的利益」とするのは、明朝の残存勢力を攻略した清の動きと同じである。

だが日本政府は、1972年の「日中共同声明」で「『台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である』との中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」として、台湾については米国と同様、曖昧な態度をとっていた。

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筆者:下條正男(歴史学者、拓殖大学名誉教授)

2025年12月20日産経ニュース【竹島を考える】より

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