
製作工程を説明する、江戸切子協同組合の代表理事で伝統工芸士の篠崎英明さん=2月、東京都江東区(緒方優子撮影)
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米大リーグのドジャースに今シーズンから移籍した佐々木朗希投手。移籍直後にチームメートにプレゼントしたのが、青く輝く江戸切子のグラスだった。日本の象徴でもある「江戸」を冠した繊細な手仕事による名品は、ビルが林立する東京の下町で丹念に作り継がれている。
細密な文様が光を取り込んで織りなす、華やかで、はかなげなきらめき。それらはガラスに刻まれた無数の切り目によって生まれる。
東京スカイツリーを見上げる東京都墨田区の街角にある工房「すみだ江戸切子館」には、キラキラとまばゆいばかりの江戸切子が並んでいる。

手間のかかる「磨き」も手作業で
藍や銅赤など自然な色合いのガラスに、伝統的な菊つなぎ、麻の葉、七宝といった文様を刻み込んだ江戸切子は、江戸後期に制作が始まり、200年近い歴史を持つ。
東京東部など特定の地域で手作業により作られたものでなければ、江戸切子を名乗ることはできない。同館を運営するヒロタグラスクラフトの廣田節子さん(76)は「うちでは、すべての工程が職人の手作業です」と胸を張る。手間のかかる仕上げの工程「磨き」も手作業で行う。これにより、ガラスの輝きがよりシャープになる。
繊細な線でデザインされた麻の葉文様のグラスを手に取った。朝の陽光を受けてキラキラと輝く。それはまるで宝石のよう。上から横から、少し角度を変えて眺めれば、また表情が変わる。天候、時間帯、光の具合、置く場所や眺める方向によって、同じグラスとは思えないほど表情が変化し、飽きることがない。

「同じ形のグラスでも、カットが違えば全く違う趣があるし、同じグラスでもちょっとした反射や光の加減で全然雰囲気が変わるでしょう」と廣田さん。
グラス、ぐい飲み、タンブラーといった酒器を中心に、花瓶や皿、アクセサリー、近年では部屋の装飾に使うパネルや照明器具なども引き合いがあるという。
寸分の狂いなく、常に同じ線を刻む
工房の奥には、ダイヤモンドの粉を刃先にまぶした円盤をセットした研磨機。口元を引き結んだ江戸切子職人、川井更造さん(55)が、眼光鋭くグラスを削っていた。職人歴35年で「すみだマイスター」の称号を持つ川井さんでも、「全工程を1人で仕上げるなら、1日で6個作れるかどうか」。それほど手間がかかる手作業だ。

「粗摺り」「石掛け」というガラスを削る工程は、自分の目と手だけが頼り。100分の1ミリずれるだけで、光の屈折が変わり、表情が変わってしまう。線の細さも深さも寸分たりとも狂わないよう、常に同じ力加減で。力を入れすぎても抜きすぎてもうまくいかない。器を持つ指先に神経を集中させる。頭の中に描いたデザインを、自分の目と指先だけを武器に、グラスに映し出していく。それはまるで魔法のよう。
「1日8時間、週5日。同じ力加減で同じようにガラスを削っていく。全部手作業なのに、昨日と今日で線の細さが違うというわけにはいかないんです。本当に難しい仕事です」
最近は、ものづくりの職人を「作家」と称することもある。しかし川井さんは「作家ではなく職人の道を選びました」と自負する。だから、手がけるのは普段使いできるグラスやぐい飲みが中心。華やかであっても食卓や晩酌になじむもの、日常から浮き上がらないもの、装飾美だけでなく機能美があるもの。
「1個何十万円もする芸術品のようなものよりも、普通の暮らしをしている人たちの手に届くものを作りたい。しまい込まずに、生活の中で深く考えずに使ってもらえるのが一番です」と、ほほえんだ。
筆者:田中万紀(産経新聞)
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