This post is also available in: English
幹をなでながら
「懐かしいですね」
蒸し暑さが残る9月初め、横田拓也さん(56)は新潟市の市立寄居中学校の敷地を眺め、つぶやいた。父の滋さん=令和2年に87歳で死去=の転勤に伴って、同中3年の夏に転校して以来の景色だった。
校舎や体育館は建て替わったが、校門をくぐってすぐの桜並木には、見覚えがある。滋さんは47年前の春、娘の入学記念の写真をここで撮影した。めぐみさん(59)だ。病み上がりだったから、やや浮かない表情で目線を投げかける。
「父としては『桜がきれいなうちに』という思いだった。親心を感じる写真だが、今となっては拉致問題のシンボルのようなものになった」。いっとき緩んだ拓也さんの表情に、険しさが戻る。
朽ちて花をほとんど付けなくなった樹木もあるが、学校側は「この問題を考える上で意味がある」として、枝を払うなど安全対策をした上で保存している。拓也さんは対応に謝意を示しつつ、「改めて長い時間の経過を痛感する。北朝鮮での過酷な日々の中で、姉も少しずつ衰えていっているかもしれない」。そう言って、幹をなでた。
自宅まであと数十歩で
めぐみさんは13歳だった昭和52年11月15日、バドミントン部の練習を終えて帰宅する途中に北朝鮮工作員に拉致された。自宅までは、子供の足でも10分ほど。友人2人と学校を出て途中で1人になり、自宅へ曲がる最後の丁字路付近でさらわれたとみられる。
めぐみさんのパジャマのにおいで行方をたどっていた警察犬が、この辺りで足を止め、ぐるぐる回った。
拓也さんは「当時、『きゃ!』という叫び声を聞いたという証言もあり、拉致現場の可能性は高い」とした上で、「自宅まで本当にあと数十歩の距離で、人生を狂わされた」と唇をかむ。
さらに数分で見えてくる日本海の白波も、辛苦ばかりを想起させる。
デートスポットでもあった浜辺に並んだ車一台一台に、早紀江さんは懐中電灯を当て、めぐみさんが乗っていないか確認した。ドライバーから怒鳴られても、かまわなかった。転落の可能性を見越し、テトラポッドの隙間にも目を配った。
連れ立った拓也さん、双子の弟の哲也さん(56)は当時9歳。暗闇を長らく歩き回り、恐怖で泣き出してしまった。めぐみさんがいなくなる前、一家で散歩に訪れたり、釣りを楽しんだりした記憶は、隅に追いやられた。
鳥だったら
近くの神社の参道前には今も、警察による看板が掲げられている。
《この事件の解決のため、捜査を進めております。どんなことでも結構ですので、お心当たりのある方は、情報をお寄せ下さい》
「拉致問題は過去の話ではあるが、歴史の話ではない。現在進行形であることを、国民の皆さんは忘れないでほしい」。問題の風化は、関係者が最も懸念する事態。家族会の代表として全国各地を講演で回る拓也さんの言葉に、力がこもる。
海の向こうで助けを待つめぐみさん。潮風を浴びていると、親世代の家族が「自分が鳥ならば飛んで、魚ならば泳いで助けに行きたい」と話していたことを思い出した。「私もそうしたい」
13歳のときのまま、記憶の更新がかなわないから、拓也さんは姉を「ちゃん」付けで呼ぶ。
「めぐみちゃん。こんなにも長い間、救い出せず、本当にごめんなさい。過酷な状況に置かれている中、『がんばってください』とは、なかなか家族の立場からも言えませんが、どうか体を壊さずにいてください。元気でいてください。待っていてください」
弟の叫びだ。
◇
2024年10月3日付産経新聞【60歳になっためぐみちゃんへ(上)】を転載しています
This post is also available in: English