織田信長像 (Wikimedia Commons)
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「古い社会秩序を破壊し、朝廷の権威をも恐れない」「天下統一の野望に突き進んだ革命的な戦国武将」。そんな織田信長の一般的なイメージが、近年の研究で激変している。史料研究の深化で革新的な人物像は見直され、きまじめなほどに伝統的慣例を尊重し、現実的な政策に徹する姿が浮かび上がってきている。滋賀県が主催したシンポジウムでは、信長についての著作がある研究者8人が通説の誤りに切り込んだ。そこで語られた信長の姿とは―。

「天下布武」の誤解
シンポジウムは、信長が安土城の築城を始めた天正4(1576)年正月から来年450年となるのを記念し10月、「天下人織田信長と安土城」と題して大津市で開催された。
まず話題となったのが、信長が武力による全国統一を成し遂げるスローガンとして使用したと考えられてきた「天下布武(ふぶ)」の印章だ。
パネリストの金子拓・東京大史料編纂(へんさん)所教授は「天下布武」について、天下とは全国ではなく、五畿内の枠組みの中で室町幕府の将軍を中心とした「天下静謐(せいひつ)」を実現するという信長の強い政治理念であったと自著で指摘している。
安土城考古博物館の高木叙子主幹も「史料から浮かぶのは、天下静謐(せいひつ)のため自分が天皇や将軍を支えるという、引いて引いての(従来のイメージとは)真逆の信長だ」と発言した。
筆者:川西健士郎(産経新聞)
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