複数の糸を斜めに交差させ、太く丈夫に組み上げられる「組紐」。来年で創業150年を迎える浅草の老舗「桐生堂」は、長きにわたって江戸の「粋」を紐に組み込み、その香りを現代へと伝えている。
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作り方によってさまざまな表情を持つ組紐=東京都台東区(永礼もも香撮影)

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複数の糸を斜めに交差させ、太く丈夫に組み上げられる「組紐(くみひも)」。刀を腰にくくり付ける「下げ緒」や着物を固定する「帯締め」など日本の装いを彩ってきた。来年で創業150年を迎える東京・浅草の老舗「桐生堂」は、長きにわたって江戸の「粋」を紐に組み込み、その香りを現代へと伝えている。

まるで弦楽器

木製の土台の上、四方八方からの絹糸が弦楽器のように張り詰めている。6代目職人の羽田雄治さん(46)は「子供の頃はここが秘密基地でした」と話し、糸を手に取った。

左手の親指にかかった白が、右手の青と交わり、紫の下をくぐり抜ける。一切の無駄がない、熟練された手さばきだ。「自分で言うのもなんですが、手先が器用なので」。糸の先端につるされた重りが、ときおりカタンと音を立てる。

桐生堂は明治9(1876)年、生糸の生産地である群馬県桐生市で看板を上げた。ところが、同年の廃刀令によって、刀の下げ緒の需要が激減。文明開化で新しいものが次々に生まれる東京へ活路を求めた。

糸を組む「桐生堂」の羽田雄治さん(永礼もも香撮影)

明治中期には、東京・深川の芸者らの間で組紐を使った帯締めが人気を集めた。「日本人は、何かにつけて紐を付ける」と羽田さん。斜めに組まれた組紐は立体的な構造で、人の呼吸に合わせて伸縮するという。庶民に羽織が広まる中で、前部分を留める羽織紐の市場も拡大していった。

4つの構造

紐には大きく分けて4つの構造がある。糸を斜めに交差させたら「組紐」、縦横に織ったら「織紐(おりひも)」、ねじって束ねたら「撚紐(よりひも)」、輪をつないだら「編紐(あみひも)」。羽田さんが得意のイラストで説明してくれた。「ものづくりは最初が重要。作る前に必ず、色の組み合わせや硬さなどの『組み味』を紙に走り書きしています」

デザインが決まったら、細い糸を複数本束ねて「合糸(ごうし)」する。束の太さに決まりはなく、多いときは400本をまとめるという。束をいくつか作ったら、一つ一つの先端に重りをつけ、「組む」工程に移る。

何本もの糸が組まれて紐になる(永礼もも香撮影)

3玉を使えば三つ編みのように、数百玉ならきめ細かく。合糸する糸の本数と、それを組むときの束の数を変えることで、作品の幅は無限に広がる。軍服やサーベル、キセルの飾り紐など、戦時中は軍人の間でも重宝されたという。

ところが、先の大戦後は洋服が主流となり、帯締めを中心に扱っていた組紐屋は次々と廃業した。そんな中、桐生堂の職人らは紐を担いで全国の百貨店を行脚し、呉服屋への卸売りに力を注いだ。

「うちは『伝統』という感じではない。時代の流れに抗いすぎずにやってきた」。バブル経済の崩壊後は、百貨店の減少に伴い、現在の店舗で小売りを行うようになった。小物をぶら下げる根付紐や、めがね紐、髪飾り…。浅草の落語家からは羽織紐の注文も後を絶たない。

色とりどりだが、「鮮やか」とは少し違う。どこか渋く、落ち着いた風合いだ。「江戸の香りを感じるものを作りたい」という羽田さんは、絹糸を漬けて手染めする際、赤く染めるなら補色の緑を加えて、くすませる。鮮やかな青より藍色、華やかなピンクより臙脂(えんじ)色。色の引き算を意識した、こざっぱりした色彩が江戸風だ。

全世界から注文が

近年はECサイトに全世界からも注文が届くようになった。海外で居合を習う外国人が、下げ緒を買いに来ることもあるという。時代によって形を変えてきた組紐には、どこか懐かしい風合いがある。日本人の魂に響く何かが組み込まれているのだろうか。「そんなに難しいもんじゃない」と羽田さん。「ただ、粋なものを作りたいんです」。平日の昼下がり、客足は増すばかりだ。

筆者:永礼もも香(産経新聞)

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