昭和20年3月10日未明、米爆撃機B29約300機が現在の台東区、墨田区などの下町を一斉攻撃した東京大空襲。一晩で10万人を超える死者は、戦争による犠牲者としては人類史上で最悪の数だ。
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東京大空襲で焦土と化した下町一帯(昭和20年9月、米軍撮影)。白黒フィルムのニュース写真を人工知能(AI)の力を借りてカラー化、当時の資料などを参考に細部の色合いを修整し、できる限り当時の雰囲気を再現しました。ページ下に、画面をスライドするとモノクロからカラーに変化する写真などを掲載しています。

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机上の想定を超えた大破壊

声高に叫ばれることは少ないが、一晩で10万人を超える死者は、戦争による犠牲者としては人類史上で最悪の数である。

昭和20年3月10日未明、米爆撃機B29の約300機が現在の台東区、墨田区などの下町を一斉攻撃した東京大空襲。写真は終戦直後の9月、現JR両国駅上空付近から東京湾方面を米軍が空撮したものだ。

民間人を含む大量殺戮は最初から計画されていた。当時の下町一帯は現在の2倍以上の1平方キロメートル当たり3万5000人という世界有数の人口密度だった。しかも密集するのは木造家屋である。米軍は江戸の大火や関東大震災を研究し、日本家屋を模した街の延焼実験まで行っていた。

そこに吹き付けたのが春先の強い北西風だった。煽られた炎は竜巻のような火災旋風を巻き起こし、午前2時すぎには台風並みの風速25メートルを記録、一夜にして27万戸、100万人を超える生活圏を焼き尽くした。

米軍はこの時期の「春一番」も予測していたとされるが、現実は机上の想定をはるかに超え、史上最悪の大破壊を生み出したのである。

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筆者:皆川豪志(産経新聞)

2026年3月8日産経ニュース【プレイバック昭和100年 色ある昭和】より

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